震災遺構・大川小学校、大阪生まれ…震災経験ない大学生が”語り部”「他人事と思うことはできなかった」【知らないから、伝えたい】#知り続ける
震災の記憶と教訓をつなぐ取り組みが各地で行われるなか、若い世代や県外からの移住者など、その立場は様々です。
石巻市にある震災遺構・大川小学校。
この場所に、震災の教訓を伝える大学生がいます。
若生みりあさん
「大阪で生まれ育ちましたが、私は東日本大震災を他人事と思うことはできませんでした」
大切な人の命を、失わないためにー。
児童と教職員、あわせて84人が犠牲となった大川小学校。
語り部としての若生みりあさん
「当日子どもたちを救うことができる条件は揃っていました。救いたかった命、救えたはずの命、救ってほしかったはずの命。それが救えなかった命になってしまいました」
東北大学のボランティアサークル「SCRUM」は、この場所でおととしから「語り部」をしています。
震災が起きた時、メンバーの年齢は5歳~6歳。
そのほとんどが県外出身で、1年生の若生みりあさんもその一人です。
若生みりあさん
「どこにいたかハッキリは覚えてないんですけど、5歳の頃、父と一緒にいて地震が起こった時に、机の下に入りなさいと言われた記憶はあります。自分が記憶する限りでは、地震とか津波って言葉を初めて聞いたのが、その時だったので」
SCRUMが語り部をはじめたきっかけは、遺族からの依頼でした。
経験していないことを、伝えるー。
どう伝えればいいか考えることが、学生にとって震災への理解を深め、受け取る側にも響くことになると考えています。
大川小学校の遺族・鈴木典行さん
「語り部をするのは、経験した子じゃなくても、世代じゃなくても、構わないと思うんですね。思いがあって伝えていかないといけない、そんな思いがある人が話すので、伝わるのかなと思います」
若生さんがつなぐ、この場所で起こったこと。
若生みりあさん
「大川小学校の周りには当たり前の日常があって、普通に生活されている方がいてというのは、私の地元と同じです。もしかしたら、大阪でもなにか起こっていたかもしれない、奪われた日常はもしかしたら私の日常だったかもしれない。ここの日常が奪われたことは忘れてはいけないし、私自身が忘れないために伝えたいと思って、きょうこの場所に立たせていただいています」