【南三陸】3月11日、旧防災対策庁舎に手を合わせた人々の思い「14年を振り返り、父に報告した。」

3月11日、南三陸町の震災遺構、旧防災対策庁舎では日の出とともに手を合わせる人の姿が見られた。
毎年、朝一に手を合わせにきているという町民の70代の男性は、「みんな夢中でやってきた。14年はあっという間に過ぎ去った。最近は全国各地いろいろな自然災害が起きているので、備えはみんなでやらないといけないと強く感じる」と話した。
町役場に勤める50代の男性は、「自衛官時代の経験と防災の知識を活かしていきたい」と語った。
このうち、最後まで避難呼びかけた町の職員などがいた防災対策庁舎では、3階建ての屋上をはるかに超える波が押し寄せ、43人が犠牲となった。
南三陸町は1960年に発生したチリ地震を教訓に津波対策を進め、それを踏まえて防災対策庁舎は鉄骨3階建で建てられたが、東日本大震災ではチリ地震津波の5.5mをはるかに超えた15.5mの津波が庁舎を襲った。
旧防災対策庁舎の周りはかつて市街地があった場所。
この場所には追悼・鎮魂のための震災復興祈念公園が整備されていて、3月11日午後2時46分には防災無線の音とともに黙とうが捧げられた。
黙とうに参加していた人に話を伺った。
友人を防災庁舎で亡くした40代女性は、「なかなか来ると思い出しちゃうので、来られなかったが、きょうは写真を持ってきた。亡くなった友人の息子がパパになったと、報告しにきた」と話した。
14年の月日については、「まだ数年前のことだったように感じる。でも、街も新しくなって、前に進んでいかないといけない」と話し、生きていることが当たり前じゃないと思いながら生活しているという。
町職員だった父を防災庁舎で亡くした40代の男性は「14年を振り返り、父に報告した。長かったといえば長かった。人生が変わったし、いろいろな苦難もあって乗り越えていった。庁舎は3月11日に自分がどういう立ち位置にいるかを父に報告する場所なので、自分としては残してもらえてよかった」と語った。