長崎からウクライナへ “仕事”と “希望”を!祖国と日本の魅力をウクライナ人女性が発信《長崎》
ふるさと「ウクライナ」を離れ、長崎で暮らす女性がいます。
願うのは、平和な世界。
ウクライナと日本の文化を学び、発信しています。
SNSに、日本語で文字を器用に打ち込みます。
『こんにちは。長崎も梅雨が始まりました』
アナスタシア・ストラシコさん 25歳。
SNSの「X」を始めて、先月で1年。
主にウクライナの文化や歴史、これまで学んできた日本の文化を発信しています。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「学ぶのは将来のため。戦争終わったあとにウクライナに帰る時、本当の日本の文化をウクライナ人に教えたいと思った。日本とウクライナの懸け橋をしたい」
おととし2月、ロシアによる侵攻が始まり、その年の9月、ウクライナから長崎に避難してきました。
故郷は中部の都市ドニプロ。
休日になるとよく親戚で集まっていましたが。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「みんな、家族… すみません」
涙に声を詰まらせるアナスタシアさん。
いとこは軍隊に入り、23歳の若さで戦死しました。
自身も・・・。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「戦争がが始まった時、日本に行くのは難しくなった。家族と一緒に本当にいたいと思った」
それでも、家族に背中を押されて単身、日本へ。
16歳の頃から、日本に留学するのが夢だったアナスタシアさん。
ウクライナからの避難学生を受け入れていた長崎大学で学び始めました。
▼日本の文化や人に癒され ウクライナのための活動を決意
長崎市で大正末期から続く「煎茶・文人流」。
アナスタシアさんは月に1、2回 教室に通っています。
この日は、お点前を披露。少し緊張した様子でしたが…。
無事に終え、笑顔がのぞきます。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「とてもおいしい。おもしろい。煎茶の道具もとても素晴らしい。日本の本当の文化は、私はとても大好き」
(文人流 家元 山口祥泉さん)
「皆さんがアナスタシアさんが来ることを楽しみにしていて。素直ですよね。育ててあげたいなという気持ちに、親心みたいな感じで。私もその一員」
2年を過ぎても終わりの見えない戦争。
不安が続く中で、安らげるひと時 です。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「毎日、ウクライナからたくさん悲しい大変なニュースがある。だからここでたくさん日本人と一緒に話すことをして、リフレッシュして、ウクライナのための活動をもっと頑張ることができる」
去年秋には新たな活動も始めました。
(UA.デザイナージャパン 高見 翔希さん)
「日本では最近は、半袖の人も結構 増えてきたから。半袖のヴィシヴァンカ、ウクライナにはたくさんある?」
(アナスタシア・ストラシコさん)
「例えばこれみたいな。最近は新しいのを考えた。平和のための服を(作った)」
ウクライナの伝統刺繍「ヴィーシフカ」を施したのは、民族衣装「ヴィシヴァンカ」。
ユネスコの無形文化遺産にも登録されている、豊かな自然をカラフルに描いた「ペトリキフカ塗り」も。
こうした伝統芸術作品を日本に輸入し、販売します。
6月、会社も設立。
(UA.デザイナージャパン 高見 翔希さん)
「文化を少しでも知ってもらえたらというので、日常的に使えるものを(心がけている)」
代表は旧ソ連圏での貿易業の経験がある 高見 翔希さん 27歳です。
2人は、長崎に避難してきたウクライナ人たちの通訳ボランティアを通して、知り合いました。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「ウクライナで撮っている写真は全部、私の家族と友だち。だからみんな一緒に頑張っている」
ヴィシヴァンカを紹介するモデルは、アナスタシアさんの友だちや妹、いとこたちです。
また、刺しゅうやペトリキフカ塗りの輸入でも現地の職人たちと連携。
戦火で観光客は来なくなっているそうで、日本人から寄せられた応援のコメントを翻訳して伝えています。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「今は大変な時代。ドニプロはバトル(戦闘)の近くだから。この(応援)コメントを見せるために翻訳する。みんなとても喜ぶ」
2人の事業は、離れて暮らす家族や仲間に“仕事”と “希望” も与えています。
▼長崎に感じたのは “大きな希望”「日本とウクライナの懸け橋になりたい」
現在、大学院で論文の執筆に取り組むアナスタシアさん。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「水の神です。ちょっとカッパみたい」
テーマは、日本とウクライナの神話や文化の比較。
“類似点”に着目しながら進めているそうです。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「相違点を見つけるのはもっと簡単。この研究は人気。でも類似点は、将来と平和のためにとても大切。似ているところを見ると、もっと違う国に優しく(できる)」
ふるさとでは、ロシアによるミサイル攻撃で住宅や学校、商業施設も標的に。
子どもを含め、市民が犠牲となる被害が続いています。
今、活動する長崎もかつて原爆で破壊され、そこからよみがえりました。
このまちで感じたのは、大きな “希望” 。平和を願い、発信を続けます。
(アナスタシア・ストラシコさん)
「長崎は、本当に大変な経験があった。長崎の人はとても親切。とても平和大好き。長崎はウクライナ人の希望になった」
「ヴィシヴァンカ」や「ペトリキフカ塗り」の作品は、「UA.Designer Japan」のウェブサイトで購入することができます。
また、7月27日28日に出島表門橋公園で開かれるイベント「出島宵市」で、作品を紹介する予定だということです。