【特集】日本の地で夢に向かって 2人のウクライナ避難民、祖国への思いと未来への希望
ロシアがウクライナへの侵攻を開始してまもなく2年が経とうといています。
島根県江津市にはウクライナから避難してきた2人の女性が暮らしています。母国への思い、そして「これから」について取材しました。
スポダ・ナタリーアさん29歳と、ロスコ・アンナ・クリスティナさん22歳。2人はロシアによる侵攻が始まった2022年にウクライナのそれぞれ別の町から島根県江津市に避難してきました。
アンナさん
「私の町は全然大丈夫です。安全なところ。もちろん時々危なくなります。でも他の町よりまだ大丈夫」
こう話すアンナさん。故郷はポーランドの近くに位置するイバノフランキウスク州。ロシアからは距離があることもあり、侵攻が始まった直後と比べると現在は比較的状況は落ち着いているといいます。
一方でー。
ナタリーアさん
「時々ロシアから爆弾がきたりするのでまだ安全ではありません。いつまたキーウに侵攻する予定があるかわかりません。もしまた行ったら私の町とても危ない」
ナタリーアさんが住んでいたチェルニヒウ州は、ロシア国境とキーウの間にあり、ロシアが侵攻してきた際、町は大きく破壊されました。以前あったのどかな風景は一変し、予断を許さない状況が今なお続いています。
■ 島根県江津市での生活
日本に渡って丸1年。2人は現在、島根県江津市にある日本語学校で語学の勉強をしながら、有福温泉の宿で部屋のベッドメイクなどのアルバイトをしています。
ホテル カサネ 稲積清子さん
Q:2人の様子はどうですか
「とても働きぶりが真面目なのでこちらの思いもくんでくれて、色々大変な思いはそれぞれしてると思うんですが、それを感じさせず明るく振舞ってくれています」
日本には現在、ウクライナからの避難民が2000人以上いて、遠く離れた土地で暮らしながら母国の平和を祈っています。
ナタリーアさん
「ホテルのアルバイトはとても好きです。その経験にとても感謝しています。みんな一緒に頑張っていきたいと思います」
アンナさん
「掃除とかベッドメイクしながら色々な話をします。例えば文化のこととか何でもいろんな話題について話します」
空き時間、市内を散策するアンナさん。よく通っているという公園に案内してくれました。
アンナさん
「素晴らしいのは、山もあるし海もあるし空気も素晴らしいし、元気のため住むのがとてもいいと思います」
自然豊かで静かな町。これが江津市を避難先に選んだ決め手でした。
アンナさん
「ウクライナはとてもにぎやか。毎日ボンブ(爆弾)とか夜もよく寝られませんでした。その時本当にストレスがあって、色々な心配なことがありました。こちらに来たらとても静かでとても安心しました」
日本語学校は今年で卒業となるアンナさん、その後はー。
アンナさん
「卒業したら東京に引っ越してそちらで勉強したいです。写真家の専門学校に入学したいです。なので今はそれのために準備しています」
実は、母国ではすでに写真家として活動していましたが、日本の学校を出ておいた方がのちの就職に有利だと聞き、4月からは東京にある写真の専門学校に進む予定です。
アンナさん
「(写真を撮るとき)私は自分のアイデアをあげます。時々モデルさんもクリエイティビティ(創造性)を付けます。面白いことを私に伝えます。そうしようかな?あーしようかな?こちらに行こうかな?それがとても面白いです」
江津での生活を経て将来に向けての歩みを進めます。
そして、ナタリーアさんはー。
学校が終わった後も勉強を続けています。
ナタリーアさん
「日本に来た一番の理由は、アニメーションの勉強をしたいからです」
4年前友人の勧めで初めて日本のアニメに触れました。
ナタリーアさん
「アニメを見るときは、何かストレスあるときは元気になることができます」
戦争が始まってからはアニメを見る時間が唯一の癒しとなりました。そして、いつしかアニメの制作に携わりたいと考えるようになりました。そんな中、受験していた東京のアニメーション専門学校に合格。ナタリーアさんもこの日本で、夢に向かって一歩を踏み出します。
しかし母国はー。
ナタリーアさん
「これはボンブ(爆弾)の後にあったもの」
Q.これが落ちてきた?
「そうです」
ナタリーアさんの母 ルドニラさんはウクライナの病院に勤めていて、今も国にとどまって医療に従事しています。母から届くメッセージには日々の悲惨な様子が…。
ナタリーアさん
「家族について心配なので、できれば早く日本に一緒に住みたいです。そして早く戦争が終わってほしいです」
日本で暮らすことによってアンナさんとナタリアさんは、それぞれ夢に向かって歩み出すことができました。ただ、一番の願いは、遠く離れた母国、ウクライナの平和です。