「やり残したことのない野球人生だと自分では思ってます」 島根県出雲市出身ソフトバンク和田毅投手が引退発表 松坂世代最後のひとりパリーグの現役最年長選手がユニフォームを脱ぐ
和田毅 選手
「ホークスで選手としての役割というのがだんだん終わりを迎えているのかなと。5年間の中で少しずつできて、その中で今年は特にそれが強く感じて、今度は選手ではない立場で、ホークスそして野球界に貢献できるといいですが、勉強する時間にあてたいなっていうのがだんだん比率が高くなってきて」
11月5日に、引退を発表したのは、島根県出雲市出身でプロ野球福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手。パリーグの現役最年長選手がユニフォームを脱ぐ決断をしました。
突然の引退発表に、街の人は…
街の人
「今まで頑張ってらっしゃたので、年齢も考えるとちょうどいいタイミングじゃないかなと思います」
「残念は残念ですけど、また違った世界で頑張られるんじゃないかなと期待しています」
「なんか地元に戻ってきて野球とかもっと強くしていただけたらと思います」
出雲市出身の和田投手。浜田高校時代には甲子園にも出場、ベスト8進出を果たしました。
進学した早稲田大学では、六大学野球の歴代最多奪三振を更新する476奪三振をマークするほどの活躍ぶり。2002年に自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団。1年目の2003年には、初勝利から白星を積み重ね14勝をマーク。新人王にも輝きました。メジャーリーグにも挑戦し、ソフトバンク復帰後の2022年6月には、日米通算で150勝を達成しました。
和田毅 選手
「1年目から自分を我慢強く使ってくださった王会長をはじめ、たくさんの監督、コーチのおかげでここまでの数字を積み上げることができましたし、ほんとにうれしく思っています」
和田選手は同じ年に自己最速の149キロを記録するなど、長年にわたり活躍。日米通算で165勝を記録し、多くの野球ファンから愛されていました。
引退発表を受けて、島根中央高校で野球部の監督を務めている、弟の誉司さんは。
和田誉司さん
「驚きもありますけど、ここ最近のけがとか考えれば決断を悩んでだと思うんですけど…帰ってきてくつろいでいるんですけど、くつろいでる時でもなんかストレッチしながら漫画読んでたりとか、なんかとにかくやっぱり自分の体のことを常に思いながら、過ごしてるんだろうなっていうのはすごく思ったところですかね。よくここまで頑張ったなと思います」
さらに、浜田高校で一緒にプレーした、同級生の小松原さんは、
小松原研さん
「昨日の夜中に野球部の同期のグループラインがあるんですけど、そこに彼の方から引退するとラインが届きました。意識の高さっていうのは高校時代からありましので、自分がこうなりたいってものに対してストイックに取り組む選手だったので…ファンとしては残念ですけど同級生としてはお疲れ様という気持ちですね」
実は和田投手、地元島根県の野球の普及にも尽力。自身の名前を冠した「和田毅杯少年野球大会」を2005年から開催。去年までに19回行われ、球児の野球技術向上に一役買っていました。
参加者
「憧れの和田選手にメダルをかけてもらってうれしいし、将来、和田選手のような選手になりたいなと思いました」
惜しまれながら引退を発表した和田選手。
和田毅 選手
「振り返っても悔いのないといいますか、やり残したことのない野球人生だと自分では思ってます」
「松坂世代」最後の1人として腕を振り続けたその姿は、多くの人に感動を与えてくれました。