【発災後1年】「能登半島地震」被災地の今は?考えるべきことは?現地で活動続けてきた静岡市の支援者に聞く
発災から1年が経った能登半島地震。地震の発生後から10回にわたって現地での支援活動を続けてきた静岡市の男性に、今の状況や私たちが今考えるべきことを聞きました。
2024年1月1日、輪島市などで震度7を観測した能登半島地震。この地震により、石川県内では災害関連死を含めて498人が亡くなり、また10万戸以上の住宅に被害が及びました。
静岡市障害者協会に相談員として勤務しながら災害支援団体の代表を務める松山文紀さん。阪神淡路大震災以降、30年にわたって被災した地域で支援活動を行ってきました。
能登半島地震でも発災5日後に現地入りした松山さん。2024年1年間で10回、珠洲市を中心に現地で支援活動を行ってきました。
(災害対応NPO「MFP」 松山 文紀 代表)
「はじめの3か月は、とにかく生きるのが精一杯、寒いのもあり、避難生活をする環境が非常によろしくなかった大きい避難所ほど、自主的な運営が難しかった。いろいろな人たちが入っているので、そこで助け合いというのが難しい、今回、一番感じたのは、行政の支援はなかなか届かない、というのを感じた」
現地で、松山さんは避難所に食料などの物資を運んだり、また、重機を使える仲間とともに倒壊した家屋から貴重品を取り出したりするなどの活動をしてきました。しかし9月…少しずつ前へ進んでいたところに、今度は豪雨災害が襲いました。松山さんは、ちょうどその時、現地で活動していました。
(災害対応NPO「MFP」 松山 文紀 代表)
「復旧に向かっていく、復興なんてとんでもないです、復旧、生活再建へ少しずつ向かっていくというタイミングにドーンときたので、『心が折れる』と言う方が本当に多かった。『何で神様はこんなことをするんだろう』とか当たり所のない思いを聞くことが多かった」
最後に訪れたのは、12月の下旬。珠洲市では仮設住宅への移住が終わり、最後の避難所が閉鎖されました。松山さんは、狭い仮設住宅を広く使えるよう棚を設置するなど被災者を支援してきました。
(災害対応NPO「MFP」 松山 文紀 代表)
「復興という言葉をよく聞くが、全然復興ではなく、復旧が、まだ、できていない状況。いまだ水が復旧していないエリアもある、通れない道路もある。住民は、とりあえず仮設住宅に移ることができただけで、まだ、これから生活再建をしていく。見通しは全然立たない段階。建物は解体するのに、ことしいっぱい、かかるといわれている、それが終わって更地になって、更地から建てる。まだまだ建てる状況ではないので、復興ではなく復旧が道半ばという状況です」
松山さんは、これまでの経験をいかし、各地で講習会などを開いて地域防災の大切さを伝えています。南海トラフ巨大地震に、わたしたち静岡県民はどう備えればよいのでしょうか。
(災害対応NPO「MFP」 松山 文紀 代表)
「しばらく行政の支援は来ないというつもりで、対策を今から進めていかなければならない。行政だけでなく、行政の外からの支援が入れないということは、民間の支援も入れない。要するに、本当に中にいる人たちだけで生き延びなければならない。そこで、どれだけ助け合えるかというのが本当に肝だと思う。助け合えるかどうかは、日頃から顔を合わせていて、日頃からその人たちと付き合いがあるかどうかに尽きると思う。それができている地域は、能登でも助け合いができていた」