世界一美しい“テレマーク”笠谷幸生さん死去 札幌冬季五輪で金メダル 日本ジャンプの礎を築く
1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで「日の丸飛行隊」のメンバーとして金メダルを獲得した笠谷幸生さんが、亡くなっていたことがわかりました。
日本ジャンプの礎を築いた笠谷さんのゆかりの人たちが思い出を語ってくれました。
着地で両足を前後させる「テレマーク姿勢」は、世界一美しいと言われた、スキージャンプの元選手・笠谷幸生さん。
全日本スキー連盟によると、今月23日、80歳で亡くなったことが分かりました。
1972年の札幌オリンピックで、スキージャンプ「日の丸飛行隊」のひとりとして出場した笠谷幸生さん。
冬のオリンピックでは、日本勢で初の金メダル獲得という偉業を達成しました。
2002年のSTVの取材で当時を振り返っていました。
(笠谷幸生さん)「最高にうれしいですよ。(五輪に)4回出ていますが、札幌が一番うれしかったですね。歓声といいますか、観客の皆さんの興奮度…直接伝わってくる」
表彰台の独占からおよそ50年。
札幌オリンピックの補欠選手として、笠谷さんの金メダルに貢献した益子峰行さんです。
(益子峰行さん)「(今月)24日に会って会食する予定だったが、キャンセルになって。体調を崩されて、覚悟はしていたつもりなんだけど、残念というか寂しいというか」
葬儀に出席した益子さん。
棺の中には札幌オリンピックでの思い出の写真を入れました。
(益子峰行さん)「ただみんなでワーって盛り上がっている写真が1枚あったので、笠谷くんの笑顔が入っていたので、これを持ってけって」
引退後、笠谷さんは2010年のバンクーバーオリンピックで日本選手団の副団長に就任するなど、日本のスポーツ界の発展に貢献しました。
笠谷さんの功績を讃える場所の1つが、大倉山ジャンプ競技場にある「札幌オリンピックミュージアム」です。
実際に使われたスキー用品などが展示されています。
(札幌オリンピックミュージアム 阿部雅司名誉館長)「札幌のウインタースポーツを盛り上げるというか、笠谷さんのおかげで世界中に札幌の名前が知れ渡わったと思います」
さらに、笠谷さんの出身地の仁木町です。
獲得した「金メダル」が今も大切に保管されています。
(仁木町教育委員会 和田秀文教育次長)「育てていただいた郷土の子ども達に見てもらいたいという思いから、笠谷選手が寄贈いただいた。仁木町にとっては偉大な方でありがたく思っています」
笠谷さんの葬儀はすでに行われていて、関係者によりますと、来月下旬に札幌市内で一般の人も参加できる「お別れの会」の開催を検討しているということです。