「キャプテン!炎が出ています!」日航機搭乗者の手記 「死を覚悟した」脱出までの一部始終
羽田空港で2日、日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突した事故で、搭乗していたSTVの社員が事故当時の緊迫した機内の様子を手記にまとめました。
着陸の瞬間…衝突音
1月2日、日本航空516便は定刻の午後3時50分より15分遅れて新千歳空港を離陸した。
座席は前方の中列の通路側。
機内アナウンスで最新の機体であると案内があり、内装やデザインを見渡した。
道中はまったく通常のフライトと変わらず、いつものように着陸態勢へ。
途中揺れるとアナウンスがあったが、それほど揺れなかった。
着陸の瞬間、後輪が滑走路に降りた直後だったと思う。
機体の下部に固いものが強く「ゴン!」と当たったのを感じる。
突き上げられるという表現もあるが、私の座席では体が跳ね上がるような衝撃ではなかった。
その後、「ガガガガー」という異音とともに機体は滑走路を進んだ。
酸素マスクが出たが、地上だったのでつける乗客は周りではいなかった。
衝撃の直後から乗務員は「落ち着いてください、大丈夫です」と何度も繰り返していた。
「キャプテン!火が出ています!」炎が上がり死を覚悟
振り返ると左翼のエンジン部分あたりから炎が上がっているのがわかる。
不安が募る中、右側後方の乗客からも「火が近い」との声が聞こえ、左右両方から炎があがっているようで機内全体に動揺が広がる。
どのタイミングで機体が停止したか正確に記憶していないが、乗客の声が聞こえ始めたあたりで停止したのだと思う。
炎を目視できる客室乗務員が「キャプテン!炎が出ています!炎が出ています!キャプテン!」と大声で繰り返す。
いま思えば、緊急脱出の判断のため状況を必死に伝えていたのだと思う。
乗客からは「なんで早く出さないんだ」と声も上がる。
機内の不安はピークに…。
ここで私も一瞬、死を覚悟した。
その直後、腹をくくった。
手元の荷物を確認し脱出に備える。
後になって感じたことだが、同じ気持ちになった乗客も多かったのだろうと思う。
報道では「機内はパニック状態になった」との内容もあったが、本当のパニック状態であればあのような無事全員脱出という結果にはなっていなかったと感じる。
平常時に比べればパニックかもしれないが、その中で冷静さを保とうとする人が多かったと思う。
私の周りだけだったかもしれないが…。
停止してから脱出開始までどのくらいの時間がたったか正確に記憶していないが数分程度(3分以内)だったと思う。
もっと短かったかもしれないし、長かったかもしれない。
とにかくみな必死だった。
みんな助かりたい…泣く女児をなぐさめる乗客
前方の客室乗務員が明るいライトを振りながら脱出を誘導しているのが目に入る。
乗務員の声は肉声だったので、乗客全員に届いたのかは定かではないが、脱出口から近い乗客から動き始め、言われることなく席の順に脱出を進める。
前方だけかもしれないが、私だけ助かりたいのではなく、みんな助かりたいという空気を感じた。
シューターを滑り降りると、先に降りた乗客がほかの乗客の着地をサポートしていた。
機体から離れ、50~60メートルくらい離れたところで振り返ると、左右のエンジン付近から炎を上げている機体が見える。
ほどなく消防車両が到着し消火活動が始まる。
滑走路上は想像以上に暗く、その中で乗務員は「10名ずつまとまってください、10名になったらしゃがんでください」と散り散りになった乗客に声をかけていた。
人数を把握するためだと感じた。
この時、エンジンの炎は小さくなっており、ひょっとしたら荷物は大丈夫かもと、淡い期待をいだく。
しかし突然、航空機のエンジンが唸るような音を上げ始め、乗務員が「さらに離れてください」と声をあげ、また散り散りに機体から離れる。
機体から100メートルほど離れたところで再び10名ずつまとまる。
機内に上着を忘れてきたと泣いている女の子を、ほかの乗客が両親と一緒に「大丈夫」となぐさめていた。
機体をみると再び炎が上がっており、客室にまで広がっているのを見て荷物をあきらめる。
医師らが避難した乗客をサポート
どのくらい時間がたったのかわからないが航空局の消防車が乗客の場所に到着し、その消防車の先導で、バスの待機場所まで5分~10分ほど歩く。
バスに乗り込み移動。
移動中は英語ができる人が、外国人に具合を聞いたり、運転手のアナウンスの通訳を自主的にしていた。
寒さからか、煙を吸ったからか、具合の悪そうな人も数人見受けられた。
84~91ゲートロビーに案内される。
ナンバーカードを渡され首からさげるよう案内される。
私は96番。
持ち込み荷物に関しての用紙に荷物の様式と住所、連絡先を記載。
水、ソフトドリンクが配られる。
医師のビブスをつけた医者が乗客に具合を聞いて回る。
通訳の方もいた。
1時間弱ほどたって30名ずつ別室へ移動が始まる。
バックヤードを使った導線で6階へ案内される。
入り口には警察官が10人ほどいたが、何か不測の事態に備えてのことなのだろうか。
中に入ると、そこには飲み物とおにぎり、暖をとるフリース、携帯充電用のテーブルタップが用意されていた。
さまざまなユニフォームを着た方がいて、整備士とみられる方も乗客のフォローをしていた。
私は上着を持ち出せなかったのでフリースは助かった。
全員集まったところでアナウンスがあり、「空港外へ出るのを希望される人(自宅等へ帰ることが可能な人)はこちらへ」と出口を案内される。
合わせて荷物に関しても「後日郵送する」とアナウンスで案内があり、目の前で焼け落ちるのを見ている乗客は「そんなわけない」という雰囲気が広がる。
おそらくマニュアル通りの案内かと思う。
出口でナンパ―プレートを返し、帰りの交通費の清算用紙をもらう。
思い出す脱出時の光景、助かったのは奇跡
けがなく、精神的にも大丈夫だと思っていたが、自宅に帰り寝ようと目をつぶると、脱出時の光景がフラッシュバックし寝られなかった。
翌日JALの担当デスクから電話があり、お詫び、困っている事の聞き取り、今後の連絡先、荷物が焼失した事実、一律お見舞金の説明、病院等にかかった場合の治療費の負担等の丁寧な説明を受ける。
聞くところによると厳しい声もあるようで、後方座席では私が見ていない光景があったかもしれない。
冬季の防寒着を含め、重要なものは収納ボックスに入れずに身につけるー。
「荷物を取り出さないで」と乗務員が声を上げるたびに、ほかの大事な情報を発信する時間を削ぐことになるという状況を目撃した。
今回、強く感じたことは「奇跡的に助かった」ということ。
あのような事態で360人ほどの乗客のパニックを制御するのは不可能で、緊急脱出という行為は、乗客と乗務員の共同作業だと痛感した。
最低限のレベルはあるとしても、お互い補い合わなければ望む結果はでない。
もし数人の乗客が本当のパニックになっていたなら、あの短時間での脱出は本当に無理だっただろうと思う。