【特集】女子プロレス 今春に引退を控えた里村明衣子選手に単独インタビュー いま抱く思い、そして今後の展望は《新潟》
女子プロレス界の横綱とも言われる新潟市出身の女子プロレスラー・里村明衣子選手が4月に現役を引退します。
15歳で故郷・新潟を離れ、かつて「クラッシュギャルズ」として一世を風靡した長与千種さん率いる新団体「GAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)」に入門。
「長与の後継者」とも言われる中、プロレス界の栄光も試練も味わってきました。
現在は仙台を拠点とする「センダイガールズプロレスリング」の選手であり経営者として今なお女子プロレス界に存在感を放ち続ける彼女に、これまでのレスラー人生を振り返りつつ、いま抱いている思いとこれからの展望を聞きました。
(取材:テレビ新潟・須山司)
Q)引退まで半年を切り、いまどんな思いでいますか?
〈里村明衣子選手〉
「本当にずっとプロレス一本でやらせてもらった人生だったので、すごく感謝していますね。まずはレスラーとして、レスラーとして自分が目標としていたところまで、これは成功したと言うところまで行くこと、これはもうできました。後は先輩から教えていただいたこと、それを私が次の世代に伝えていく事は、今まだやり続けていますね。この先もずっと続けると思います」
Q)思い出に残っている場面や試合をあげるとしたら?
「ベストマッチは、もう引退をされましたけれども北斗晶選手との試合。そのおかげでたくさんの方に自分を知ってもらえましたし、後は節目節目で戦ったアジャ・コング選手というレスラーがいなければ、私はここまで来てないですし。そして師匠に長与千種さんがいなければ今の自分はいないと思いますね」
「長与さんから教えていただいた事は私は同じく後輩に伝えていきたいと思います。自分で団体を持ったときに、長与さんの苦労というのがわかりましたし、長与さんも今プロレス団体を持っていて、その選手とうちの選手がいまライバル関係になっているというのも、それこそ自分がガイアジャパンに入門した15歳の時なんて想像できませんでしたよね」
Q)いまは女子プロレス界トップといっていい存在だが、これまで最も試練だった時期は?
「これまで大怪我した時はそれこそ腰のヘルニアの手術を4回したんですけれども、その時はさすがにもう無理かなぁって思っていました。けれども、それを乗り越えたらまたさらに自分の夢が広がりましたし、振り返ると怪我でやめなくてよかったなって思います。そこで諦めなくてよかったなと思います。あとは会社を立ち上げて、(東日本大震災などもあって)本当に厳しい時に『いやもう無理だな』と思った時はありましたけれども、それでもやめなくてよかったなといま思いますね」
女子プロレス界に新たな展開を
Q)アメリカやイギリスなど海外のリングにもあがるチャンスをつかみ、現地で素晴らしい活躍をされましたね。
「海外に行かなければ自分のその先の夢は無かったと思うんですけれどもね。15歳でプロレスの世界に入ったときに、海外に行くという夢がなくて、とりあえずプロレス界でチャンピオンになる、1番になるという目標だったんですけれども、世界に行けたのも30代後半の、38歳の時だったんですよね。初めて見た世界で、選手育成のシステムだとか、向こうのビジネスの大きさを見たときに、やっぱりびっくりしましたね、桁違いで。日本でやっている世界だと、せいぜい数千人のお客さんの前でやる、でも向こうは何万人の世界で、視聴者数も全然違って」
Q)現在も現役選手と、プロレス団体の経営者という2つの顔を持っている。両立は大変なことだったのでは?
「選手だけの立場だったら丸1日時間を練習に費やすくらいの練習量でしたけれども、やっぱり会社作ってからだったら、ほとんどもう練習時間なんて確保できないんですよね。それでも1日の中で、全部仕事が終わって疲れて1日終わろうとしているときに『練習できているか』と自分に問うんですよ。私は疲れていても絶対練習はしますね。それをやらないで結局だらしない体になったりとか弱くなってしまったら、それはそれでプロレスラーではないので、私はプロレスラーでもあるし、会社の代表でもあるし、選手をまとめている立場でもあるので、それをどれも妥協できないと思いますね」
Q)その自分自身への厳しさは、団体のスタイルにも表れているのでは?
「自分のスタイルは結構プロレスラーとしてすごい厳しいと思うんですよ。私の団体は他の団体から見ても、1番厳しい団体と言われていますし、それでもついてきてくれる選手がいる、そのスタイルを継いでくれる選手がいる限りは、私は私で最後まで厳しく居続けたいというところもあります」
「いまだに15歳の選手が入ってくるんですよ。彼女たちに、同じくこの道1つで頑張ってもらいたいですし、夢を持って入ってもらいたいですし、その選手がすごく活躍してくれるように、そういう環境を作らないといけないと思います。私の場合、入門して10年目で会社が解散しましたけれども、その時はやっぱり惨めでしたよね。あれだけ夢のある世界だと思って入った世界が、結局解散になったというところですごく悔しいなと思いました。けれどもまた今すごい(女子プロレス人気が出てきて)盛り返してきていて、今自分がこうしてトップに立って、ちゃんと後輩たちに選手としての充実ぶりを見せられるという事は、ここまでやってきてよかったなと思います」
Q)引退まで半年を切り、残された試合でファンにはどんな戦いを見せたいですか?
「全てにおいて、この世界は感謝が多い世界なんですよね。戦った後にファンの方がありがとうと言ってくれるし、対戦した後に試合が終わったら、すごくありがとうという感謝の気持ちになりますし、人との出会いもすごくたくさんいただける世界ですし、本当に夢のある世界に入らせていただいたと思っています。いろんないい思いをさせていただきましたし、いろんな経験をさせて頂きましたし、いろんな人と出会わせていただきましたし、全く後悔がないんですよね。本当にこの道に入って良かったと思っています。新潟市体育館で中学2年生の時にプロレスを初めて観て人生が変わりました。それから30年経ってここまでこれました、という感謝の気持ちを精一杯リングの上で見せたいです」
里村さんは現役を引退したあと、これまで海外で活躍したネットワークなどをつかって、さらに女子プロレス界を盛り上げる動きをしていきたいと、今後の展望を持っています。
彼女が抱く夢は、現役引退後もまだまだ大きなスケールで広がっています。