「過去には戻れないから、前を向いて…」大船渡山林火災 避難指示全域で解除
大船渡市の山林火災は10日、避難指示が全域で解除されました。多くの人が自宅に戻った一方、建物の被害は210棟にのぼり、避難生活を余儀なくされる人もいます。
柴田さんの遺族
「ご苦労様でした…」
今回の山林火災の犠牲者、小路地区の柴田吉郎さん(90)が亡くなっていた場所です。(※「吉」の上は土)
火災発生から13日目。避難指示が解除され、ようやく花を手向けに来ることができました。
柴田さんの遺族
「火の勢いってすごいね」
「火に巻き込まれたと思うんだ、つらかったべなあ」
「もうちょっと火が遅かったら良かった」
周りの木や建物は、激しく焼け焦げていました。
NNN取材団 松山大雅記者
「午前10時を回りました。綾里地区へつながる県道の交通規制が解除されました。車が続々と入っていきます」
最大で、大船渡市の人口の約14%に上った避難指示は、10日午前10時、すべて解除されました。
蔦京平アナウンサー
「午前10時の避難指示全面解除を受けまして、これから帰ろうということで車でやってきました」
約2900ヘクタールが焼失した山林火災は9日、鎮圧が宣言されましたが日常の風景を一変させました。
蔦京平アナウンサー「焼け落ちた民家でしょうか…その上を歩く一人の方がいらっしゃいます」
被害の大きかった綾里地区に向かうと…
NNN取材団 瀬川裕大記者
「綾里地区です。多くの家屋が焼け落ち、がれきが散乱しています」
焼け落ちた住宅や、骨組みだけの建物。住宅の被害件数は今のところ102棟で、このうち76棟が全壊しています。
森下幹生さん(75)
「あれが大事なものがあった、あれも思い出のものがあった」
「結局全部灰になって、なにも形もないなと思って」
「(自宅に)戻る状態に気持ちがなるのかどうか、ゆっくり考える」
何か残っているものはないか、がれきの中を探しました。
平子由美さん
「これしか残ってなかったんですけど」
「諦めはついていたけど、実際見てみると、なんて言っていいか分からない」
午後2時ごろ、家族4人で久しぶりの自宅に向かうのは泉さん一家です。
火災の発生直後、私たちは避難所で過ごす一家に話を聞いていました。
石浜地区に住む泉惠さん
「娘が今年中学校に上がるので、それが制服取りに行ったばっかりでそれも持ち出せずに、一度だけ袖を通しただけで…」
自宅はすべて焼け落ちていました。思わず言葉を失う一家。がれきを踏む音だけが響きわたります。
思わず目じりを押さえる母親の惠さん―。
石浜地区に住む泉惠さん
「覚悟してここにはきたのですが、実際に目の当たりにして涙がこらえきれなくなってしまって、悲しいです」
「何か残っているものがあれば持ち帰りたかったが何も残っていないので諦めました」
「わが家を目にして現実が分かった、過去には戻れないから、前を向いてしっかりやっていきたい」
最初に火の手が上がった赤崎町の合足地区です。焼け跡を前にぼう然とするのは13日ぶりに帰宅した農家の古内嘉博さん。
古内嘉博さん
「こんなにひどいと思わなかったです」
離れた場所にある自宅は無事だったものの、ピーマンを選別する作業小屋などが燃えてしまったといいます。
農業のかたわら牛の繁殖も手がける古内さん。牛舎の様子を見に行くと親子5頭の牛は元気な様子でした。まだ、飲み水は使えないものの、沢の水などをバケツに汲んで与えます。
古内嘉博さん
「生活の糧ですから一日中考えていました」
「安心しました、一安心です。」
大船渡の基幹産業、漁業も動き始めています。
かごいっぱいに入っているのはイサダ。桜色が特徴的なオキアミの一種で、港に春の訪れを告げます。
毎年2月下旬に漁が解禁されますが、ことしは山林火災の影響で漁が中止に。
10日は待ちに待った今シーズンの初水揚げです。
大船渡魚市場 中村正 次長
「水揚げできたということは魚市場にとってはうれしい」
「全船できるわけではなくて綾里の船6隻が出漁できていません」
「近日中に出漁するという話が出ているので全船そろえばなと」
そして、希望の兆しも…。
児童「おはようございます。」「きゃーみんな元気?」
子どもたちの声が戻ってきたのは、火災によって休校していた赤崎小学校です。
校舎を間借りする綾里小の児童も一緒に学びます。
早速、交流会が開かれ、子どもたちも笑顔になりました。
赤崎小6年生
「みんなで仲良く協力して楽しい学校生活が送れればいいと思います」
綾里小5年生
「みんなと会えなくて寂しかったんですけど、みんなと会えて心配の気持ちもなくなって安心して授業に臨みたいです」
人々の生活が徐々に戻りつつある大船渡市。
失ったものの大きさを受け止めながら復興に向け、歩み始めた人々がいます。
柴田さんの遺族
「ご苦労様でした…」
今回の山林火災の犠牲者、小路地区の柴田吉郎さん(90)が亡くなっていた場所です。(※「吉」の上は土)
火災発生から13日目。避難指示が解除され、ようやく花を手向けに来ることができました。
柴田さんの遺族
「火の勢いってすごいね」
「火に巻き込まれたと思うんだ、つらかったべなあ」
「もうちょっと火が遅かったら良かった」
周りの木や建物は、激しく焼け焦げていました。
NNN取材団 松山大雅記者
「午前10時を回りました。綾里地区へつながる県道の交通規制が解除されました。車が続々と入っていきます」
最大で、大船渡市の人口の約14%に上った避難指示は、10日午前10時、すべて解除されました。
蔦京平アナウンサー
「午前10時の避難指示全面解除を受けまして、これから帰ろうということで車でやってきました」
約2900ヘクタールが焼失した山林火災は9日、鎮圧が宣言されましたが日常の風景を一変させました。
蔦京平アナウンサー「焼け落ちた民家でしょうか…その上を歩く一人の方がいらっしゃいます」
被害の大きかった綾里地区に向かうと…
NNN取材団 瀬川裕大記者
「綾里地区です。多くの家屋が焼け落ち、がれきが散乱しています」
焼け落ちた住宅や、骨組みだけの建物。住宅の被害件数は今のところ102棟で、このうち76棟が全壊しています。
森下幹生さん(75)
「あれが大事なものがあった、あれも思い出のものがあった」
「結局全部灰になって、なにも形もないなと思って」
「(自宅に)戻る状態に気持ちがなるのかどうか、ゆっくり考える」
何か残っているものはないか、がれきの中を探しました。
平子由美さん
「これしか残ってなかったんですけど」
「諦めはついていたけど、実際見てみると、なんて言っていいか分からない」
午後2時ごろ、家族4人で久しぶりの自宅に向かうのは泉さん一家です。
火災の発生直後、私たちは避難所で過ごす一家に話を聞いていました。
石浜地区に住む泉惠さん
「娘が今年中学校に上がるので、それが制服取りに行ったばっかりでそれも持ち出せずに、一度だけ袖を通しただけで…」
自宅はすべて焼け落ちていました。思わず言葉を失う一家。がれきを踏む音だけが響きわたります。
思わず目じりを押さえる母親の惠さん―。
石浜地区に住む泉惠さん
「覚悟してここにはきたのですが、実際に目の当たりにして涙がこらえきれなくなってしまって、悲しいです」
「何か残っているものがあれば持ち帰りたかったが何も残っていないので諦めました」
「わが家を目にして現実が分かった、過去には戻れないから、前を向いてしっかりやっていきたい」
最初に火の手が上がった赤崎町の合足地区です。焼け跡を前にぼう然とするのは13日ぶりに帰宅した農家の古内嘉博さん。
古内嘉博さん
「こんなにひどいと思わなかったです」
離れた場所にある自宅は無事だったものの、ピーマンを選別する作業小屋などが燃えてしまったといいます。
農業のかたわら牛の繁殖も手がける古内さん。牛舎の様子を見に行くと親子5頭の牛は元気な様子でした。まだ、飲み水は使えないものの、沢の水などをバケツに汲んで与えます。
古内嘉博さん
「生活の糧ですから一日中考えていました」
「安心しました、一安心です。」
大船渡の基幹産業、漁業も動き始めています。
かごいっぱいに入っているのはイサダ。桜色が特徴的なオキアミの一種で、港に春の訪れを告げます。
毎年2月下旬に漁が解禁されますが、ことしは山林火災の影響で漁が中止に。
10日は待ちに待った今シーズンの初水揚げです。
大船渡魚市場 中村正 次長
「水揚げできたということは魚市場にとってはうれしい」
「全船できるわけではなくて綾里の船6隻が出漁できていません」
「近日中に出漁するという話が出ているので全船そろえばなと」
そして、希望の兆しも…。
児童「おはようございます。」「きゃーみんな元気?」
子どもたちの声が戻ってきたのは、火災によって休校していた赤崎小学校です。
校舎を間借りする綾里小の児童も一緒に学びます。
早速、交流会が開かれ、子どもたちも笑顔になりました。
赤崎小6年生
「みんなで仲良く協力して楽しい学校生活が送れればいいと思います」
綾里小5年生
「みんなと会えなくて寂しかったんですけど、みんなと会えて心配の気持ちもなくなって安心して授業に臨みたいです」
人々の生活が徐々に戻りつつある大船渡市。
失ったものの大きさを受け止めながら復興に向け、歩み始めた人々がいます。
最終更新日:2025年3月10日 19:13