【特集】愛する盛岡の街 長年にわたり撮影 写真家の思いと新たな挑戦 岩手
特集です。自分が住む街、岩手県盛岡市を愛し、長年撮影し続けている写真家の男性がいます。男性が何を思い撮影しているか、そして新たな挑戦を取材しました。
変わりゆく盛岡を30年以上、記録し続ける人がいます。写真家の町屋伸一さんです。
町屋さん
「この建物と柳っていうのは非常にですねこう、盛岡らしいというか盛岡のシンボルだったなと今改めて思います」
市民に親しまれた中津川沿いの柳の木が、伐採されることになりました。
町屋さん「これですね」
三角コーンに囲まれた柳の根元、柳の木に隣接する市の景観重要建造物、「ござ九」です。その塀などを損傷させているとして、やむなく伐採の決断に至りました。
町屋さん
「長年、写真を撮ってきたので、さみしい思いでいっぱいなんですけれども、今回はやむをえないなと」
これまでがんばってくれた柳の木に感謝の思いを込めて。町屋さんはシャッターを切り続けます。
町屋さん
「町と自然が調和しているのがこの中津川の沿いの特徴だと思うんですけど、その中でも一番風情のある歴史を感じさせる木だったと思います」「色んな歴史の積み重ねがあってのことだと思いますので、今ある景観を記録に残していきたい」
町屋さんがカメラを手にしたのは小学生の時。転校などをきっかけに、思い出を残そうと始めました。
町屋さん「こちらの写真集になります」
高校で写真部だった町屋さん。校舎の建て替えが決まると、みんなの思い出とともに、その姿をフィルムに焼き付けました。こうして撮り続けてきた写真は、実に40万枚以上。とりわけ思い出深い場所はどこかと問われると。
町屋さん「これが昭和35年に開業した旧盛岡バスセンターのロゴの実物ということで」
2016年に取り壊された旧盛岡バスセンター。自分がよく利用していたこの場所の姿を後世に残そうと、一冊の写真集にまとめました。
「建物の中の売店ですとか、食堂とかが昭和な感じが残っていまして」「普通の、本当に普通のサラリーマンの昼ご飯でしたね」「(そばの上に)何か乗っけた覚えがありますね」「日常ですからね」「バス乗るときもバス乗らないときも日常ですからね。日常はかけがえがない」
店のたたずまいは変わりましたが、旧バスセンターにあったそば屋は今も行き交う人々に安らぎを与えています。
町屋さん
「新しくなったところはたくさんあるけど、昔とかわらない部分はうれしいと思います」
街の変化を見つめる中で、町屋さんは次第にまちづくりに関心を持ち始めました。
町屋さん「青山町にこういった赤煉瓦の建物があって・・・」
明治時代、現在の盛岡市青山町に建てられた旧覆練兵場。天気が悪い時に騎兵隊が乗馬の練習などで使っていました。現存していた3棟のうち、老朽化などを理由に2008年に2棟が解体されてしまいました。
町屋さん
「どれだけいい建物でも残せないってことを感じました」「思いだけじゃだめなんだなって」
その反省から、町屋さんは地域の人や、まちづくりを行う人々と、残された1棟の活用を考える運動に取り組んでいます。13年前には市内のまちづくり会社へ就職。盛岡を、よりよい街にしたい。現場を見る中で、交通や防災などにも関心を広げました。
そんな町屋さん、いま挑戦していることがあります。
「城跡公園まで行くバスの経路、スマホで出るじゃないかって言っていたが、それは最近の話で、やっぱり都会が進んでいる」「はいはいはい」
担当教授に卒論のテーマを相談する町屋さん。去年から大学院で学び直しを始めました。現場での経験と、学問的な知識をもとに、新たなまちづくりに思いを巡らせています。
町屋さん
「今まさに地方では鉄道バスどうしていくかって課題にもなっていますので、そういうところを勉強できればな」「学びたいことはたくさんありますけれども、社会に還元していくのも大事だと思っていますのでなるべく早く現場に帰れればな」
とある日の早朝、中津川の河原に町屋さんの姿がありました。河川敷が市民にとっての憩いの場となるようにと、草刈りのボランティアに参加しています。住民と交流しながら町のいまを肌で感じ、声も聞いています。
9月6日。柳の木の伐採当日、町屋さんは現場に足を運びました。変化していく街の光景を悲しみながらも、見えてきたものがありました。
町屋さん
「さみしくなったというのはありますね」「一方で、建物が見えやすくなって、これはこれで新たな魅力を生かせる気がします」「新たな魅力づくりに、みんなで取り組んでいければいいのかなと思う」
町の人と協力して、よりよい盛岡をつくる。きょうも町屋さんの挑戦は続きます。
尚、3本あるうちの1本が伐採された柳ですが、盛岡市によりますと、残る2本は来年度以降、伐採が行われるということです。