【特集】「結婚もしない、子どもも産まない」「女手一つで“ほんまにやったろう”と思って」 家族のために覚悟を決めて働く老舗キャバレー『ミス大阪』のラウンジレディーたちに密着
煌びやかな夜の世界・キャバレーのラウンジレディーのお仕事は、お酒と笑顔、そして弾む会話で客をもてなすこと。ここには、厳しい人生の中で腹を括った女性たちが働いています。モラハラ・暴力・病気・借金…もがき続ける人生で、見つけたものとは―。
■「ここは俺を大事にしてくれる」幅広い客層から愛される老舗キャバレー『ミス大阪』
創業87年を迎えた老舗『ミス大阪』は、大阪に4軒しか残っていないキャバレーのうちの1軒。キャバレーとは、大空間にダンスフロアがあり、バンドの生演奏を聴きながら、ラウンジレディーと呼ばれる女性とお酒と会話を楽しむ“大人の社交場”です。
(『ミス大阪』岡田徹マネジャー)
「金曜日は特に午後9時ぐらいになると、ヤングサラリーマン、“ネクタイ族”が『昭和の匂いや』と言って、入ってきはります」
年配の方だけでなく、20代の若者や女性客の来店も多いといいます。
Q.このお店の、どんなところが楽しいですか?
(男性客)
「他の店は、言い方が悪いんですけど、“お金”。“お金”が全て。ここは、俺を大事にしてくれるので」
(女性客)
「いろんなお姉さんもいるし、人生勉強もできるし。来たら、めちゃくちゃ楽しくて」
■夜は『ミス大阪』、昼は割烹料理店、さらには自分のお店まで…ほとんど休まず明るく楽しく働き続ける
『ミス大阪』には、下は20代から、上は人生経験が豊かな70代までのラウンジレディーが約170人在籍していて、中には月に100万円以上を稼ぐ女性もいます。
女性客からの指名が多い、ラウンジレディーのサリーさん(43)。
(サリーさん)
「何かあった?」
(女性客)
「苦労しているの。今日は話を聞いてほしくて!子どものこと考えたら、大丈夫かな?とか」
(サリーさん)
「泣きそうやんか~(笑)深呼吸はしてる?」
(女性客)
「深呼吸、してないかもしらん。ため息のほうが多いから」
(サリーさん)
「ほらー!ため息が多いやろ!?そうやねん。吐きっぱなしやん?吸い込むねん」
明るい対応で客を和ませるサリーさん。
ほとんど休まずに出勤しているサリーさんの一日は長く、夜は『ミス大阪』で働き、昼は割烹料理店でアルバイトをしています。
(佐藤雄太料理長)
「もう大変やと思います。朝も、ちゃんと来てくれるので。気さくで明るいですね。ずっと笑顔なので、女性のお客さんでも喜んでしゃべっていただくので」
割烹料理店での仕事が終わったあとは、『ミス大阪』で夕方から午後10時まで勤務。
そして…。
実は、自分の店を持っているサリーさん。カウンターに立ち、深夜まで客を迎えているのです。
■幸せな家庭を築くはずが夫のモラハラや暴力で壊れていく心…『ママ笑ってる?』 自分を奮い立たせてくれたのは長男の言葉
サリーさんはフィリピン人の父親と日本人の母親の間に生まれ、日本に来たのは3歳のとき。20歳で結婚し、2人の子どもに恵まれ、幸せな家庭を築くはずでした。
しかし現実は、夫のモラハラと暴力の日々。次第に、心が壊れていきました。
(サリーさん)
「私自身を捨てたらいいんだ、と思った。自分自信を失っていました。その時に長男が、『ママ笑ってる?』と聞いたんですよ。その言葉で、私は『もうあかん』と思ったんです。これだけ母親の顔色を、こんな小さい子が…」
と、涙を堪えきれなくなるサリーさん。
(サリーさん)
「パパのいない人生を送らせるのは可哀想やなと思ったんですけど、笑っていないママの家族でいるぐらいやったら、毎日笑ってあげようと思って。それで、離婚を決意して。女手一つで、“ほんまにやったろう”と思って」
“がむしゃらに働くことが自分たちの幸せにつながる”と信じて、夜の仕事も始めました。
2人の子どもは立派に成長し、独り立ち。ようやく肩の荷が下りました。
しかし、その矢先、サリーさんに暗い影が…。
サリーさんの父ヴィトー・ダンさんが脳梗塞で倒れ、不自由な体になってしまったのです。
(サリーさん)
「私がちゃんと見ていたらよかったんですけどね。早く大きな病院に行けていたら…」
サリーさんの父親はバンドのギタリストとして、家族とともに日本にやって来ました。しかし、サリーさんが小学生のときに離婚。サリーさんは母親に育てられ、父親は一人暮らしを続けていました。
長い間寂しい思いをしてきた上に、生き甲斐だったギターを思うように弾けなくなった父親を、今度は自分が支える―それが、今のサリーさんの覚悟です。
(サリーさん)
「自分が頑張れば、稼げるので。体が健康なうちに。…まぁ、大変なこともありますけどね」
■乳がん発覚にラウンジ廃業で多額の借金…それでも働き続けるのは苦労して育ててくれた母親のため
2023年の春から『ミス大阪』で働き始めたという、ラウンジレディーのhanaさん(62)。この店では、まだ“新人”です。
(hanaさん)
「40℃になると言っているから、対策をね。家に『冷えピタ』がないとするやん。どうしてもないとするやん。そうしたら、野菜室を開けるやん。キャベツでも何でもいいねん。脇とかお尻とかに当てたら、熱は冷めるから」
(客)
「ほんまに?初めて知った」
(hanaさん)
「信じてないな。だいたい私の言うことは、誰も信じてくれへんけど(笑)」
(岡田マネジャー)
「100%、トークですね。トークの言い回し。売り上げが、上から5本の指に必ず入ってきています」
この日、hanaさんが向かったのは病院です。
(hanaさん)
「お久しぶりです。報告!」
(入野宏昭院長)
「はい、どうですか?」
(hanaさん)
「今のところ、楽しく暮らさせていただいています。ただ、検査の日になると思い出します。自分が、そうなんだと…」
5年前に乳がんが見つかり、手術をしたhanaさん。再発しないことを祈りながら、生活しています。
(hanaさん)
「人生、今まで、ちょいちょい蹴躓いるので、その度に『今のこの試練は、次に何かあるんやな』と…」
hanaさんは以前、大阪・ミナミでラウンジをしていたものの、コロナ禍で持ちこたえることができず廃業。残った多額の借金を返済するために、『ミス大阪』で働き始めました。
がんという病に加え、店の廃業―。それでも働き続けられるのは、母親の存在があるからです。
(hanaさん)
「今から思えば、母親は子ども2人を連れて、大阪に逃げてきたみたいな形になって、細々と暮らしていました」
「貧乏はしても、子どもに決してひもじい思いはさせまい」と、寝る間も惜しんで働いてくれたhanaさんの母親。
(母親)
「悪ガキでした。おとなしい優しい子と違うわな」
(hanaさん)
「私は、おとなしいほうやったと思っていたんですけどね、子どものころは。親からしたら、そうなんと違います?うふふ(笑)」
(hanaさん)
「私は、結婚もしない、子どもも産まないと覚悟を決めて。母親が生きているかぎりは、母親に全力投球してあげたら、それでいいかなと。あまりお礼を言わない母親が、『ありがとう』と言っていますから」
心配性の母親に、病気のことは話していません。毎日元気でいることが、恩返しなると思っているからです。
■「最後に助けてくれるのは、やっぱり家族」 いつも支えてくれる大切な家族の存在と叶えたい夢
(男性客)
「おかんが心配して、毎日電話がかかってきますねん」
(hanaさん)
「息子は、永遠の恋人やからな。『あの子、食べているのかな』って…食べてるちゅうねん、60歳も超えたら(笑)でも、優しいな。週に1回は会えているんでしょ?」
(男性客)
「週1は行っています」
人の痛みや苦しみを経験したからこそ、客を笑わせ、心に響く話もすることができます。
(サリーさん)
「頑張っていたら、泣きたいのよ。女性は、『頑張らなあかん』と思っちゃうから。でもね、すごく気持ちが落ちるやん。すごく落ちたとて、結局何も変わらんやん。ほんなら、その時間がもったいないと思うようになったから、ハッピーな時間を作ろうと思った。悩みを解決しようというよりかは、ハッピーな時間に乗っかろうと思った」
サリーさんには、夢があります。
(サリーさん)
「ハッピバースデートゥーユー!おめでとうー!」
いつの日か、この自分の店で、父のライブをやるということです。
(サリーさん)
「家族が一番かな」
(長男・留希也さん)
「最後に助けてくれるのは、やっぱり家族しかいないと思うので」
(サリー)
「私は今、息子にめっちゃ助けられています」
(留希也さん)
「助けて、と言い過ぎですけど(笑)」
(サリーさん)
「あはは(笑)」
(サリーさんの父 ヴィトー・ダンさん)
「ありがとう!乾杯しましょう!」
(「かんさい情報ネットten.」2024年9月16日放送)