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【若一調査隊】「謎の大王」“ミステリアスな古社”「交野天神社」 住宅に突如現れる原生林 第26代天皇・継体天皇が即位した樟葉宮とは?

2024年4月15日 6:00
【若一調査隊】「謎の大王」“ミステリアスな古社”「交野天神社」 住宅に突如現れる原生林 第26代天皇・継体天皇が即位した樟葉宮とは?
謎の大王「継体天皇」その始まりの地とは?

 皆さんは、継体(けいたい)天皇をご存知でしょうか?第26代天皇である継体天皇は507年、57歳の時に即位したといわれ、 謎が多い事から、別名『謎の大王(おおきみ)』とも呼ばれています。その『謎の大王』こと継体天皇の始まりの地が実は大阪のある場所に…

(若一光司さん)
「さあ、今回は大阪府の枚方市にやって参りました。そして、後ろに見えますのが京阪電車の樟葉駅。この樟葉駅から程近い場所にですね、大変興味深いミステリアスな面白い神社があるのはご存知でしょうか?」
(五十嵐P)
「ミステリアスな神社ですか?」
(若一さん)
「はい。住宅街の中に原生林がありまして、その中に『交野天神社』という大変興味深い神社があるんです。
(五十嵐P)
「交野天神社?」

枚方市楠葉の住宅街に突然現れる原生林「交野天神社」の謎

 かつて東海道の宿場町として栄えた枚方市。交野天神社がある「楠葉」は、京都や淀川とも隣接する枚方の北部に位置し、住宅街や商業施設が立ち並ぶ枚方を代表する町です。交野天神社は京阪樟葉駅から車でおよそ10分のところにあります。

(若一さん)
「さあ、住宅地の中にやって来ましたけど」
(五十嵐P)
「住宅街ですね」
(若一さん)
「五十嵐さんこれご覧下さい。『楠葉氏神交野天神社、参道入口』。こちらが参道の入り口になります」
(五十嵐P)
「住宅街の中にあるんですか!?」

(若一さん)
「突然あるんです。鎮守の森みたいな茂みが見えますが」
(五十嵐P)
「森ですよ、これ」
(若一さん)
「森ですね。あそこが交野天神社です。ちょっと意外でしょ」
(五十嵐P)
「だって本当に周りみても住宅しかないですね」
(若一さん)
「もう周りはほとんど住宅で囲まれています」

(若一さん)
「さてさて、やって来ましたここが鳥居になりますが、こちらをご覧下さい。『樟葉宮』」
(五十嵐P)
「樟葉、ほんとだ」
(若一さん)
「実は交野天神社なんですけども、この境内に継体天皇が即位して、しばらく5年くらいおられたとされている樟葉宮があったのではないかと言われています」
(五十嵐P)
「じゃ、言ってみたら日本の中心がここだったんですか?」

(若一さん)
「そうです。継体天皇っていうのはですね、日本の天皇の中でも謎に満ちた天皇です。今の天皇・今上天皇が126代の天皇で、継体天皇はちょうど100代前の26代天皇なります。西暦で言いますと継体天皇がお生まれになったのがだいたい450年くらいで、即位されたのが57歳くらいの時ですから、507年か8年かそのぐらいの時期です。日本書紀の中では1番の謎がこの継体天皇に関する謎と言われています。その謎と密接に関わるのがこの場所なんです」

(若一さん)
「こちらが最初の鳥居になります。ちょっと一礼しときましょうか。この神社、そのものはですね、桓武天皇が787年に開かれました。そのきっかけなったのが父君の光仁天皇をここで祭して、お祀りになったと。それが、出発点となってできた神社だと伝えられています」
(五十嵐P)
「桓武天皇って平安京に遷都した天皇ですよね」
(若一さん)
「平安京に遷都したんですけど、平安京で京都に落ち着くまでに、長岡京に居た時期がありましたね。丁度その時期くらいに、ここでそのお父さんをお祀りになさったことがこの神社の出発になっています。長岡京はここから淀川を挟んですぐです」

(五十嵐P)
「住宅街に突然現れたこの森っていう感じで、歩いているとなんか気持ちが良い空間ですね」
(若一さん)
「そうですね。こちらの森が1000年以上の歴史のある、原生林に近い森でしてね。参道沿いは、色々手入れで新しく植樹された部分もあるかもしれませんけど、中の森は昔のままです。2018年でしたかね、台風21号でだいぶこちらの神社も被害を受けられましてね。大きな木がだいぶ倒れたんだとおもいます。昔、私が初めて来た時はもっと大木があって、もっと鬱蒼とした感じがありましたね」
(五十嵐P)
「十分すごい木々が生い茂っているような感じがしますね」

(若一さん)
「こちらに額が上がっています。交野天神社とありますけども、普通は交野天神社そう呼ばれるんです。正式な名称でいきますと、『かたのあまつがみのやしろ』といいます」
(五十嵐P)
「この字でそうやって読むんですか」
(若一さん)
「そうです。天神社と言ったら菅原道真のイメージがありますけども、それよりももっと早い時期から“天神(あまつがみ)”をお祀りしていたということです」

(若一さん)
「私、ここからの景観が好きでしてね、そこのまた特徴的な鳥居がありまして、その奥に拝殿が見えていまして、その奥に国の重要文化財になっています、御本殿があります。なんか周囲の住宅街と全く別の空間があるでしょ、ここに」
(五十嵐P)
「世界変わりました」
(若一さん)
「これが私好きでしてね」

(若一さん)
「では、正面が御拝殿で、その奥が御本殿になります」
(五十嵐P)
「本殿が2つあるんですか?」
(若一さん)
「ここの左側、正面の建物が交野天神社の御本殿になります。右が『八幡神社』の御本殿となりまして。境内末社になります。どちらも国の重要文化財です。鎌倉時代くらいに出発点がありまして、室町期の特徴なんかを含めた大変貴重な建物になっているということでしてね。我々あとで、その前まで今日は特別に行かせてもらいます。その前に継体天皇が即位され、そこで5年間くらい政治をなさってたとされる宮跡、宮殿跡にまずちょっと行ってみたいと思います。

交野天神社にある「樟葉宮跡」にまつわるミステリー

樟葉宮跡は本殿から50mほど離れた末社・貴船神社にあります。ここからは交野天神社の片岡宏之宮司に案内していただきます。

(若一さん)
「今からちょっと森の中に入っていく感じになります」
(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「ここからは少し砂利も敷かないでちょっと昔のままの状態にさせていただいているんです」
(五十嵐P)
「本当だ。どんどん森の中に入っていくようですね」

(若一さん)
「周りの住宅地からはちょっと想像できない異世界になってきました」
「こちらです。こちらの上が貴船神社になっていましてね、この奥のエリアが樟葉宮の宮跡だとされているわけですよね」
(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「そうですね」

この貴船神社へは裏参道にある鳥居からも入ることができ、こちらから入ればまた違った雰囲気が体験できます。

(若一さん)
「さあこちらにですね。貴船神社のお社があります。ちょっとご挨拶しておきましょう」

(若一さん)
「そしてですね、ここに石碑があります。『史跡 継体天皇樟葉宮跡伝承地』と」
(五十嵐P)
「まずあの、継体天皇がどういった方かって、私あんまり馴染みがなくてわからないんですけど」
(若一さん)
「継体天皇に関しては、大変多くの謎があります」
(五十嵐P)
「謎があるんですか?」

「継体天皇」が謎の大王と呼ばれる理由とは?

(若一さん)
「継体天皇の前の天皇が、25代の武烈天皇っていう悪いことばっかりして何一つ良いことをしなかったという天皇が先代にいまして、その武烈天皇が亡くなられた時に子供がいなかったんですね。それで、次の天皇を決める関係の重臣達が集まって、この継体天皇が選ばれるわけですけど、その時この継体天皇は今の福井県のあたりを治めていました」
(五十嵐P)
「福井にいたんですか!?」
(若一さん)
「今の滋賀県の高島あたりで生まれて、すぐお父さんが亡くなられて、お母さんの出身地である今の福井県のあたりに移ってそこで暮らしておられて、実力者になられて、その辺りを治めておられて。そこにヤマト王権から次の天皇を引きいいってくれという話がいくワケです」

継体天皇は当初、何度も即位を辞退したそうですが、ヤマト政権の権力者・大伴金村(おおとものかねむら)らのたび重なる説得を受け、507年にこの樟葉の地で天皇に即位しました。

(若一さん)
「その時に継体天皇は57歳ぐらいなんですよ」
(五十嵐P)
「57歳!?」
(若一さん)
「そうです。その年齢で即位するというのも、ね」
(五十嵐P)
「当時の57歳って今の57歳とまた違いますよね」

また、継体天皇は応神天皇の5代離れた子孫であり、天皇との血縁が薄いうえに、都から遠く離れた北陸にいたものの、なぜ皇位を継承できたのか?理由は未だはっきりとしていないそうです。

継体天皇が『謎の大王』と呼ばれる理由は他にも…

(若一さん)
「継体天皇がここで、ですよ、伝承によりますと即位されて、ここに宮を編んでですね、ここで5年くらいおられたということになっているわけですよね」
(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「なぜここを選ばれたかっていうのはこちら、ずっと流れております淀川でございますけど、丁度この淀川の方が木津川とか、京都と大阪湾を結ぶ大きな川、枚方の川を使って政治をしやすいような形です」
(若一さん)
「大変重要な場所で、ここから九州なんかも連絡しやすい、交通の非常に集約点でもあったということです」

こうして政治を行いやすい樟葉の地で、天皇に即位した継体天皇ですが、その後、ヤマトに入るまで20年の月日を要しました。なぜ20年もかかってしまったのか?その理由にも謎が…

(若一さん)
「一つ言われていますのはね、それまでの天皇が即位したのとはちょっと流れが違うので、反対勢力があったんではないかと」
(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「中々、ヤマトに入らせてもらえなかったという風にも記されています。こちらの樟葉の地で5年間、その後に筒城宮、田辺の方に行かれまして、また長岡京の方に行かれてからヤマトの方に移られました」
(若一さん)
「その間に連絡の良いこの辺に拠点を置きながら、色んな諸国の豪族とかに支援を集めて、自分の背景を磐石にした。その為に20年くらいヤマトに入るまで時間がかかったんではないか、とか言われていまして。その間が色々謎なんで、はっきりしない、細かい事が分からない」

また現在、宮内庁により継体天皇の御陵は、茨木市にある太田茶臼山古墳だとされていますが、実は多くの学者の研究では、“調査隊”でも何度も訪れた高槻市の今城塚古墳が“真の継体天皇の御陵”ではないか、とも言われており、 継体天皇に関しては様々な謎が残されているのです。

(若一さん)
「ただ一つ言えますのが、継体天皇までの天皇というのは、実在性が学問的には中々実証されにくいところがあるんです。ところが、この継体天皇以降は割と実在性がはっきり証明され得る人たちが続くわけですね。一つ歴史の分岐点におられる天皇であって、沢山の謎を持った天皇であると言うことなんですね」

特別に間近で見学!二つの本殿

 継体天皇の謎に迫ったところで、いよいよ重要文化財である2つの社殿を拝見します!今回は特別に間近で見せていただきます。

(五十嵐P)
「間近で見ると大きいですね!」
(若一さん)
「おお! 凄いですね」
(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「正面が桓武天皇の父君であります、光仁天皇をお祀りしているお社でございます。向かって右側の方が八幡社ですね、こちら応神天皇、いわゆる誉田別命(ほむたわけのみこと)なんですけも、こちらも継体天皇から第5代のご先祖さんと言うことで、その関係もあってこちらの方に八幡社があるのかなと思います」

どちらも室町時代中期に建てられたもので、切妻屋根が特徴の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、桧皮葺の建造物です。また、外観は鎌倉時代の様式を残しつつ、蟇股(かえるまた)などの彫刻には室町時代初期の特色がみられます。

(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「国の重要文化財って言うことで大切に保管されてはいるんですけども、この枚方市内の中でも最も古い建物の様式にはなるんじゃないかと思います」

そして今回、さらに近くからその特徴を見せていただきました!

(若一さん)
「わ〜すごいすごい」
(五十嵐P)
「ここから見ると屋根が流造っていうのがはっきり分かりますね」

(交野天神社宮司 片岡宏之さん)
「ここで珍しい蟇股っていうのが、壁にピタッと張り付いてないんですね。すこし壁から浮いた形ででてるんですけど、これも時代の建築の1つのものでございまして、鎌倉時代の作りのものがそのまま尊重されているのかなと思います」
(五十嵐P)
「この大きさにびっくりしました」
(若一さん)
「大きいですね。しかし、よく残っていますね」

枚方の住宅街にあるミステリアスな原生林。その中には1000年を超える知られざる日本の歴史と魅力が詰まっていました。

(「かんさい情報ネットten.」 2024年3月13日放送)

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