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【速報】飛鳥宮跡で新たな大型建物の跡発見 天皇や近しい人が住んでいた可能性…3棟並び計画的に配置 7世紀後半の建築か

2025年3月18日 17:00
【速報】飛鳥宮跡で新たな大型建物の跡発見 天皇や近しい人が住んでいた可能性…3棟並び計画的に配置 7世紀後半の建築か
去年12月撮影

 奈良県の橿原考古学研究所は、明日香村にある「飛鳥宮跡」で、7世紀後半ごろに建てたとみられる大型の建物の柱の跡を新たに発見したと発表しました。大型の建物が3棟並んで計画的に配置されていたことが判明し、天皇や天皇に近しい人の居住空間だった可能性があるということです。

 世界文化遺産の候補地として推薦が決まっている「飛鳥宮跡」は、聖徳太子が亡くなった後に中大兄皇子らによる「大化の改新」が行われた時代、7世紀前半の第34代舒明天皇から7世紀後半の第41代持統天皇までの間、天皇の宮が置かれたことが知られ、1959年に発掘調査が始まり、橿原考古学研究所が主体となって調査を進めてきました。

 当時、天皇が暮らし政治を行っていたとされている宮跡の中核部分「内郭(ないかく)」の北側では、2つの建物の跡が見つかっていて、このうち1つの建物の跡については、2024年11月、大きさが東西約35メートル・南北約15メートルで、これまで見つかった中でも「最大の建物」だと明かされていました。

■建物は3棟並んで計画的に配置「宮殿の構造を解明する上で重要な成果」

 今回の調査では、2つの建物の間に新たに大型の建物の柱の跡があることがわかりました。これまでに発見された建物と柱の列がそろっており、3棟並んで大型の建物が計画的に配置されていたことが判明したということです。

 この建物は、飛鳥時代後期の7世紀後半ごろ、第40代天武天皇から持統天皇の時代に建てられたとみられ、柱がくまなく格子状に設けられている「総柱建物」と呼ばれる構造でできているため、高床式の建物であった可能性が高いということです。

 橿原考古学研究所の東影悠指導研究員は、今回の発見について、「天皇が住まうような大規模な建物が3棟、整然と南北に柱と筋をそろえて建てるということは、宮殿の構造を解明する上でも重要な成果」だと話しました。

最終更新日:2025年3月18日 17:00
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