「宗教には踏み込むな」行政の動き鈍く…信者と向き合った保健所職員の後悔~シリーズ「オウム30年」②

地下鉄サリン事件をはじめ、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教。山梨県旧上九一色村の教団施設への強制捜査から3月で30年を迎える中、当時の映像と30年後の証言で事件について考えるシリーズをお届けします。2回目は当時、保健所の職員として施設内の信者と向き合った女性が抱き続ける後悔です。
オウム真理教が拠点を構えた旧上九一色村。教団信者の増加とともに、現地では住民との間でトラブルが相次ぎました。
オウム真理教の男性信者
「あなたのような人を拒否するだけの仕事しか承っていない。そんなこと私は知るわけないじゃないですか」
連日、寄せられる騒音や異臭などの苦情。
当時、県の吉田保健所に勤務していた竹越秀子さん(74)は昼夜を問わず施設周辺に駆けつけ、排水の状態や騒音の出どころなどの調査にあたっていました。
竹越秀子さん(74)
「住民の苦情は分かる。すごく分かるけど、どうにもならなかった。臭いは消えちゃう。(信者は)もう言うことも聞かない。とにかく何も改善されない」
竹越さんが村に通い出したのは1992年4月。パトロールで見た光景を今も鮮明に覚えているといいます。
竹越秀子さん(74)
「白装束、ヘッドギアの人たちを見て」
竹越秀子さん(74)
「そして建物の屋上に双眼鏡を持ってこうやって見ているわけ、偵察している。何かSFの世界というか、映画を見ているみたいだった」
竹越秀子さん(74)
「え、これが日本なの。おかしい」
強制捜査の2か月前、日本中に衝撃が走った大地震のことすら、閉ざされた環境に身を置く信者は知りませんでした。
竹越秀子さん(74)
「一人だけ仲良くなった女の子がいた、大学生くらいの女の子」
竹越秀子さん(74)
「阪神・淡路大震災があった時に、その子の出身が京都だって聞いていたから『すごく大きな地震があって京都もけっこう被害があったと思うから、お父さんお母さんに連絡してみたら』って言ったら『は?』っていう顔はしたけど」