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【法廷ルポ】「保険で金は支払われる」遺族を愚弄し続けた被告に裁判所『刑の減軽』…理由は「認知症」司法が突き付けた現実と遺族の無念「刑が軽すぎる」大阪・生野7人死傷事故

2024年9月8日 8:00
【法廷ルポ】「保険で金は支払われる」遺族を愚弄し続けた被告に裁判所『刑の減軽』…理由は「認知症」司法が突き付けた現実と遺族の無念「刑が軽すぎる」大阪・生野7人死傷事故
事故で亡くなった原井恵子さん

「人を2人殺しておいて、刑は軽すぎる…。“認知症”だからといって無罪を主張するというのは、殺された側の人間からしたら全く信じられない」

 大阪市生野区で個人タクシーが暴走し7人が死傷した痛ましい事故の裁判。運転手だった被告の「認知症」の影響が裁判の争点となった中、裁判所が示した判断は、病気の影響を考慮した「刑の減軽」だった。法廷内で「保険でお金が払われる」などと愚弄する言動すら見せた被告と、涙ながらに「認知症の加害者ではなく被害者の人権を」と訴えた遺族。司法が突き付けた、遺族にとってあまりにも厳しい現実とは―。(報告:丸井雄生)

■個人タクシー暴走…左足でブレーキを踏む被告「教習所が間違っている」

 事故が起きたのは、2023年3月20日の昼下がり。

 大阪市生野区の片側3車線の「今里筋」で、1台のタクシーが、赤信号を無視して歩行者や自転車に乗っていた4人を次々にはねた。タクシーはさらに急発進して、3つの赤信号を無視し、走行中の原付バイクと衝突して歩道柵に突っ込んで一時的に止まったものの、再びバックで急発進。そして、走行中の車に衝突すると、反対側の車線にある歩道の植え込みに突っ込んで、タクシーはようやく止まった。

 一連の事故により、交差点を歩いて横断していた原井恵子さん(当時67)と松中英代さん(当時73)の2人が亡くなり、衝突された車や原付バイクの運転手ら5人が重軽傷を負った。

 逮捕・起訴されたのは、個人タクシー業を営んでいた斉藤敏夫被告(76)。

 裁判の記録などによると、斉藤被告は前日にも事故を起こしていたため、修理のために大阪府守口市にある自動車整備工場に立ち寄った後、保険手続きのために大阪市天王寺区にある個人タクシー組合本部に向かっていた。

 不慣れなエリアで道に迷っていたところ、赤信号にもかかわらず交差点に進入し、事故を起こした斉藤被告。人をはねたことで狼狽した斉藤被告は、さらにアクセルペダルを踏みこんで時速66キロまで急加速するなど「暴走」に及び、次々と事故を重ねた。

 さらに、裁判では斉藤被告の特異な車の操作方法も明らかになった。運転していたタクシーはオートマチックトランスミッション車(いわゆる「AT車」)だったが、斉藤被告は、右足でアクセルペダルを、左足でブレーキペダルをそれぞれ踏んでいたという。ブレ―キペダルは右足で踏むと自動車教習所で教わることは分かっていながら、斉藤被告は「教習所が間違っている」と考えていたのだ。

■弁護側「認知症、過失責任は問えない」 被告は指でマル「保険で金が支払われる」

 裁判で争われたのが斉藤被告の「認知症」の影響だ。

 斉藤被告は、今年5月に開かれた初公判で「自分が100%悪い」と起訴内容を認めたものの、弁護側は「情報処理の遅延など認知症の影響が相当程度あり、本件以前から事故が増えていた」と主張。「過失責任は問えず、過失が認められたとしても程度は低く、事故当日は道に迷い、普段と異なる状況に置かれていたことなど酌まれるべき事情がある」として、無罪や刑の減軽を主張した。

 検察側も、斉藤被告が認知症にり患していることは認めている。一方で、「事故当日、現場まで約3時間、約45キロにわたり走行していたが、その間、運転に異常は認められない」と指摘。『一日の中で比較的短時間のうちに意識レベルが変動することはない』という医師の指摘を踏まえた上で、「認知症の影響の程度は狼狽を増幅させたという間接的なものにとどまる」としている。

 裁判の中で、受け答えはするものの、具体的な事故の原因を語ることはなかった斉藤被告。被害者参加制度を使って遺族が裁判に参加する中、何度も両手を頭上に挙げて、指をマルにするポーズを作りながら「保険でお金が払われる」などと言い放った。

■遺族が涙で陳述の中…「自殺するよ」裁判長が被告を制止「黙って聞く時間です」

 7月には、事故で亡くなった原井恵子さん(当時67)の夫が証言台に立った。スーツ姿で、用意した書面を読み始めると、ほどなく涙声に変わった。

「私と妻は19歳と18歳の時に共通の友人を通じて知り合い、6年間の交際の後、結婚しました。2人の子どもを授かり、43年間、家族で楽しく過ごしてきましたが、事故によって私たちのささやかな幸せが一瞬にして破壊されました。事故の当日、亡くなった妻を見て、30分前まで一緒にいたのに、できることなら私が変わってあげたい、自分も一緒に死にたいと思いました」

 この時、車椅子に座っていた斉藤被告が突然身を乗り出し、遺族に詰め寄るように言葉を発した。

「自殺するよ、自殺するよ」

 裁判長の「やめなさい、今は黙って意見陳述を聞く時間です」という声が法廷に響き渡る。

 その後も、斉藤被告は同様の行為を繰り返したため、見かねた裁判長は一時的に弁護人の後方に移動させて距離を空けるよう指示した。

 続けて原井さんの夫は、涙ながらにこう訴えた。

「私は生きる希望を持てなくなりました。認知症を考慮して加害者を守るだけでなく、何も言えない被害者の人権も優先してほしいです。被告に厳罰をお願いいたします」

■判決を前に…遺族「何を見ても妻を思い出す」

 判決の前日、原井さんの夫が取材に応じた。自宅では、あるものを見せてくれた。

 原井さんが生前、好きで描いていた絵だ。仏壇のそばに3枚が立てかけられていたほか、夫は「ほかにも見てください」と言い家中の壁などに飾られた絵を紹介してくれながら「上手だったんです」と誇らしげに語った。幼い頃から絵を習っていて、個展に出したり賞を取ったりすることもあったという。鮮やかな色彩で空想上の生き物などが描かれ、個性的で、豊かな想像力をうかがわせる絵だった。

 原井さんの夫は涙を浮かべながら、心境を語った。

「どこかで起きている事故のニュースを見ることはあっても、まさか自分の大切な人が巻き込まれるなんて思いもしなかった。家にあるもの何を見ても妻を思い出して悲しくなる。ずっと支えてもらってばかりで、優しい人でした。孫の成長を楽しみにしていました。私にはいま生きるすべがありません。認知症というだけで罪が許されることはなくなってほしい」

■判決は禁錮3年「認知症で過失責任は減殺」 遺族「法整備をしてほしい」

 9月4日。大阪地裁の法廷に、車椅子に乗って現れた斉藤被告はは、時折薄っすらと笑みを浮かべていた。

 言い渡した判決は検察側の懲役5年の求刑に対し、「禁錮3年」だった。

 過失責任を問えるかどうかについて、「認知症の症状は認められるが、事故を起こす直前には赤信号で止まれていたなど運転操作に異常はなく、事故当時もブレーキで止まるという基本的な運転能力は有していた。注意義務を違反したと認められ、過失責任を問うことができる」と指摘した。

 一方で、検察側の求刑以下の量刑とした理由については次のように説明した。

「認知症が小さくない影響を及ぼし、過失責任は一定程度、減殺されるべきともいえる。何ら落ち度のない被害者2人の尊い命が失われ、5人が傷害を負っていて結果は重大。突如亡くなった被害者の無念は察するにあまりあり、遺族の心痛は計り知れない」

 判決が読み上げられている際、裁判長や弁護人のほうを見て小さな声で何かを話しかけるような素振りを見せ、裁判長から「黙って聞いていてね」と注意を受けた斉藤被告。言い渡しが終わった後も、弁護人らに何かを話しかけたりする様子を見せながら、車椅子を押されて法廷をあとにした。

 判決の後、遺族が悔しさとともに訴えたのは、同じ事故が繰り返されないための『法整備の必要性』だった。

 原井恵子さんの夫「認知症があるのにタクシーを運転していたことに驚いた。こうした事故がなくなるように、検査を厳格にするなど法整備をしていただきたい。そうでないと、また私たちみたいな悲しいことが続いてしまう」

 松中英代さんの長男「タクシー組合も個人タクシーを使う基準を明確にするべき。個人でも法人でも検査基準を明確にして、タクシーの免許返納や、認知症の症状が少しでもあるのであれば、免許のはく奪や停止などをするべきではないか。何かのきっかけにならないとおかしい。潜在的に認知症を患っている方はたくさんいると思うので、安心してタクシーに乗れない」

 司法の判断は、遺族にとって到底納得できるものではなかった。各地で繰り返されてしまっている悲惨な事故を防ぐために、認知症患者が車を運転するリスクとその対策を、社会はいま一度見つめ直すことが求められているのではないだろうか。

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