フィギュア鍵山優真 親子二代で五輪へ…
フィギュアスケート男子シングルで羽生結弦選手や宇野昌磨選手とともに北京五輪代表に選ばれた18歳の鍵山優真選手。
今季はグランプリシリーズイタリア大会、フランス大会を2連勝。世界ランク2位と、飛ぶ鳥を落とす勢いで、初めてのオリンピック出場を決めました。
コーチは父・正和さん。現役時代は、2度のオリンピック(1992年アルベールビル13位、1994年リレハンメル12位)に出場した名スケーターです。
父の影響で、5歳から本格的に練習するようになり、そして“親子二代”で五輪出場となった鍵山選手。父・正和さんとアイスショーで一緒に滑った経験もある、トリノ五輪・金メダリストの荒川静香さんが取材しました。
荒川)お父さまが素晴らしい選手だったのは、いつ頃から知りましたか?
鍵山)小学生くらいの時にオリンピック選手ということを知って、すごい選手なんだなと感じました。
荒川)始めた頃は認識していなかった?
鍵山)全然わからない(笑)
荒川)今、成長とともにお父さまのスケートスタイルに似ていると思う瞬間が増えてきたのですが。
鍵山)全く意識はしてなくて、“遺伝”だと思う。自分も結構、研究に研究を重ねて今のスタイルがあるので。
荒川)特に共通しているのが、膝と足首の使い方の柔らかさが、滑らかさを演出していると思う。
鍵山)“遺伝+自分のトレーニング”を重ねて最近ジャンプでもうまく使えるようになってきた。柔らかいスケーティングや色々な種類のスケーティングができるようになってきました。
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その鍵山選手の転機となったのは全国大会で2位となった中学2年の時。その4か月後、父・正和さんが脳梗塞で緊急入院しました。『これから一人で頑張っていかないといけない』と誓った鍵山選手、コーチでもある父と離れたつらい時期は、自身でスケートを考える力につながっていきました。
鍵山)自分でできること、『何しようかな』と考えて、毎日過ごすようになった。勝手に自立というか、自然に『自分の課題はこうだから、明日はこういう練習しよう』『アクセルがだめだったから、ちょっとアクセル中心に練習しよう』とか、考えることができるようになったかなと思います。
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父・正和さんには、撮った映像から、病室でアドバイスをもらったりもしました。そして半年後、再び父・正和さんがリンクに戻ってきた時には、「成長した今まで頑張ってきた自分を見せられるように頑張ろうと思った。練習も楽しくて、『また二人でやっていけるんだな』と思うとうれしかったです」と話しました。
そして努力は実を結びます。2019年には。全日本ジュニア選手権を当時のジュニア世界最高得点で初優勝。この時フリーの楽曲は映画『タッカー』より。実は父・正和さんも現役時代に使用していた曲でした。
荒川)元々『タッカー』で滑っていたのは知っていた?
鍵山)いえ、知らなくて。振付の佐藤操先生にいろんな曲をだしてもらって、『じゃ、これがいいかな』となった。振り付けしている時に『同じ曲を滑っていたんだよ』と聞いた。本当にたまたま偶然で、びっくりしました。
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ハイレベルな日本代表を、確かな実力でつかみ取った鍵山選手。親子で初めての五輪に挑みます。
鍵山)お父さんよりいい結果を残して、“親孝行”というか、感動させられるような演技ができたらいいなと思います。すべて出し切って、トップに上り詰めることができたらいいなと思います。
写真(左)父・正和さん(右)鍵山選手
写真:日刊スポーツ/アフロ