車いすバスケ藤本 妻に支えられ東京パラへ
今日開会式を迎えた東京パラリンピックに出場する、車いすバスケットボール日本代表・藤本怜央選手(37)。
小学3年生のときに交通事故にあい、右足のひざ下を切断しました。当時について藤本選手は「母親から聞いたかな、足がなくなったことを。ひざから下が全くなくて、『あ、無いんだ』と思いました。手術した翌日か2日後に父親に『世の中には足のない人がいる。でも義足をはいたら普通の生活が出来る。だから義足があるから大丈夫だ』と言われました。」と振り返ります。
そして藤本選手は高校3年生から車いすバスケを始めます。2004年には日本代表としてアテネパラリンピックに出場し、それ以来5大会連続でパラリンピックに出場します。
藤本選手の武器は、シュートのうまさ。ゴール下も、スリーポイントも得意とし、日本選手権では11大会連続で得点王に輝いています。
シュートのコツを聞くと「ジャンプできないので、(手を)下げちゃうと、相手にボールを触られるじゃないですか。高いところで打つんです。肘を曲げずに。」車いすバスケもゴールの高さは一般のバスケットボールと同じ。大事なのは、上半身全体の力をうまくボールに伝えること。これにより、高い打点でボールを離すことができ、シュート精度が上がります。
前回のリオパラリンピックでは大会直前に、肘の軟骨がすり減り大きな痛みを伴う「変形性肘関節症」が判明し、万全の状態で迎えることができませんでした。
藤本選手は「ボールをもって手のひらを返すだけで痛みが出ていて、何か月後かにはリオがあった。止まることができなかった。やらなきゃいけなかった。いつの間にか自分の体が壊れていることすらわからなくなった。」と当時を振り返ります。
右肘を痛め、リオパラリンピック後に引退することも考えた藤本選手を救ったのは、2014年に結婚した妻の優さんでした。優さんは藤本選手に「不安に思うってことはまだまだバスケットやりたいんだろうなと。東京パラリンピックに出られるように、間に合うようにもう一回頑張ればいいんじゃない?って。」
そして、2017年に右肘を手術。復帰のためには長いリハビリが必要でした。当時を振り返り藤本選手は「バスケットが出来ないからこそ、バスケット以外でバスケットにつながることを精一杯やるという時間かなって。」
妻の優さんは、もともとは苦手だったという料理でサポート。優さんが作るトマトカレーは藤本選手の大好物で「完全に俺の体は妻の料理でできています」と藤本選手は笑顔で話します。
優さんの支えで日本代表の舞台に戻ってきた藤本選手。完全復活で迎える東京パラリンピックについて「(東京パラリンピックは)最後自分の集大成を華やかに飾るには、最高のステージになるのかなと思っています。」と、自身のキャリアの集大成と位置づけました。
そして先月、東京パラリンピック前直前合宿の荷造りをしていた藤本夫妻。藤本選手が持って行くのは、優さんからプレゼントされたコーヒーセット。優さんは「(藤本選手は)あんま趣味とかもないんですよ。趣味を見つけるチャンスにもなるかな。」
さらにもう一つプレゼントが。それは藤本選手がパラリンピックで履くバスケットシューズでした。
藤本選手は「優がデザインしたバッシュ(バスケットシューズ)なんですけど、パラリンピック用に金色でバッシュを作ってくれたんですよ。」とプレゼントを見せてくれた藤本選手。
金色の理由を優さんに聞くと「金メダルを取ってほしいから」と満面の笑みで答えてくれました。
藤本選手は家族のイニシャルが入った金色のシューズを履き、東京パラリンピックで金メダルを狙います。
写真:SportsPressJP/アフロ