栗山監督退任 大好きな野球に必死になれた
プロ野球・日本ハムの栗山英樹監督(60)が1日退任会見を行い、「大好きな野球をこの年まで全力で必死になれた。こんな幸せなことはない」と10年間の監督生活を振り返りました。
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――10年間の監督生活は?
10年間、めいっぱい選手たちのために、ファンの皆さんになんとか喜んでもらおうと全力で走ってきた。ただ終わってみると後悔とかそういうものばかりです。ファンの皆さん、野球をやっている皆さん、全ての人たちがいて10年間野球をやらせてもらったので本当にありがとうございました。
――結果はすべて“監督の責任”と言ってきた理由?
ずっと言ってきたのは選手たちに「とにかく怖がらずに思いっきり野球をやってほしい」という思いだけだった。だからこそ絶対に選手を批判しないし、ファンの皆さんには、それが選手たちを「必ずいかしてくれます」とメッセージを送っていたつもりです。
――選手との向き合いで大切にしたことは?
とにかく“片思いをし続ける”こと。相手がどう思おうが一切関係ないし、嫌われて当然と思ってやっていた。自分の感情は常に横に置き続ける。それもなかなかうまくいかないときもあるし、でもただそのことを心がけてやってきたつもりです。
――独特な栗山采配の根幹は?
本当はもっと策があった。ふざけているように見えたかもしれないけどすべては勝つためにやった。常識といわれるものとはまったく離れたことをやって結果を出し続けることが、(組織が)一致団結するのに一番近いものだと僕は思っていた。普通にやっても1つにはなりにくいと思って意識して考えていた。
――今後は野球を考えなくていい日々になる?
あんまりそういう感じじゃない。きのうも、ずっとノート書いてた。何で負けたかとか、もっといい方法あったとか。たぶんこれは意味が無いけど続きますね。無駄な抵抗ですけど。僕の中では監督をやっている、やってないは関係ない。もっと野球を知りたいし、選手たちを喜ばせる方法を見つけたいだけ。野球を考えないことは無いというのが実感です。
――野球の神様に与えられた天命をまっとうできたか?
自分がこの年まで、監督をさせてもらうことは普通はありえない。なんか野球の神様がやれっていう意味があるんだと思った。野球に対して「お前がやらなきゃいけないこと常にがある」と言われ続けている感じがすごくあったので、一生懸命にやってきました。
その中で、できたことは1つしか無くて(就任1年目の)2011年11月11日。人生で一番緊張した日って言っていいかもしれないけど、(その年の)最終戦まで、元気な姿でメンバー交換にいけた。まず元気で、試合に向かうという最低限、自分の中での約束事だったのでそれだけはできたかなと、あとはできなかったので、「すいません」って感じですね。