プロレスは「一番合わない格闘技」 70歳の現役レスラー藤波辰爾…1日でも長く“リングに”
1971年にデビューし、今なお現役でリングに上がっている藤波辰爾さん。ケンカをした経験がないという子どもでしたが、アントニオ猪木さんへの憧れもあってプロレス界へ。70歳となる今、「一番合わない格闘技に自分が飛び込んできちゃってんだけど、一番長くいるっていうのは不思議でならない」と振り返りました。
■リングに上がれなくなったら、多分老いちゃう
自分で言うのもおかしいけれど、ピュアですね。へへへへ。結果的に(プロレス界に)一番長くね、いますけど。
──プロレスの何にひかれて、ここまで立ち続けられたんですか?
リングに上がるっていうのが、何か自分の中で支えになっているっていうのかな。
不思議なんですよ、あのリングっていうのがね。やっぱり自分自身もやっぱりリングがあるから復帰できたというのもあるし、やっぱりリングに上がれるというのがあるから、体も色々なところは悪いながらも、まだ自分で一応今動けてたなっていうのがある。リングに上がれなくなったら、多分、もっと早く老いちゃうでしょうね。
■僕、あんまりケンカをした経験がないんだよね
──どんな子どもだったんですか?どうしてプロレスに興味を持った?
レスラーに入ってくる子って、みんな子どもの頃わんぱくだったり、ガキ大将みたいな感じがするんだけど、あんまり僕、ケンカをした経験がないんだよね。ごく普通、本当におとなしい。
力道山先生や、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんが全盛期でやってる頃なんかのテレビを、親父なんかが見ている肩越しに怖々のぞき見していたような感じですよね。中学生のとき、大分市内にプロレスの巡業で来るんですよね。だから学校も、ちょっと早退して、自転車でね。4時間ぐらいかかったかな。生で見たら、怖かった。
──それでも見に行くっていうのは引き付ける何かが?
あったんでしょうね。それは何なんだろうね…。人と争うことが苦手で、あんまりそういう経験がない。だから、なんで自分はレスラーになったのかなという。裏返しですかね…恐怖心というなかに、自分が飛び込むというか。もちろん僕自身、猪木さんのファンだったんでね。そういう憧れはあったんですけどね。
──日本プロレスに入門して1年ほどで、猪木さんが新日本プロレスをおこし、藤波さんもそこに加わった。
僕自身がやっぱり猪木さんに憧れていた。やっぱり、技の華麗さと、自分の怒りの形相ですよね。あのそのまま。他の方も猪木さんの格好よさ知ってると思いますが、もうそれに近いものがありますよね。入門してからだと、猪木さんの格好良さが格好いいだけじゃない、怖さに変わりましたけどね。
──今でこそ人気の新日本プロレスだが、当初は苦労も多かった。
もう本当に最初だから、興行的に本当に月に3~4試合ぐらいしか組めないんですよ、地方巡業がね。興行が簡単にできるものではないので。当時の新日本プロレスは“インディペンデント”だったので、独自で自分たちで会場を開いていかなきゃいけなかった。
営業もいるんだけど、やっぱり自分たちでもお客さんを入れろというか。だからポスター貼ったりとか、チケットを営業したりとか、そういうのは自然とやりましたよね。
──海外修業を経て日本に戻ってからは、“藤波ファン”を多く取り入れた印象があります。
自分自身は、そんな余裕ないですね。やっぱり何だかんだ言ったって、馬場さん・猪木さんだって、ああいうでかい選手がやっぱり絶対的なのはまだ層が厚いんで。
新日本プロレスに、猪木さんの右腕みたいな新間(寿)さんという宣伝マンがいてね。絶対的な存在の猪木さんともう一つ、お客さんの目をひく物を作りたかったのか、試合が始まる前に必ず僕に耳打ちするんですよ。「何かやれよって」。試合中もセコンドにいてずっと見ている。
こりゃ、何かやらなきゃいけないのかなって。でも、自分ではそんな突拍子もないことはできないし。だから、もう無意識ですよね。“ドラゴン・スープレックス”(※腕と首をきめて相手を投げる得意技)もニューヨークにいた時に、こういう技あるよ、こういうスープレックスもあるよと教えてもらっただけであって、実際にやってないし、練習もしてなかったし、それがたまたま上手くきまって“ドラゴン・スープレックス”になったんだよね。
あと“ドラゴンロケット”(※リング外に落ちた相手に向かって飛び込む大技)。メキシコに行った時に初めて見た時に、「こいつらアホか?」と思いましたよ。
リングの下にマットもないし、メキシコだったら(リングは)闘技場だから石ころがいっぱいある。そこに向かって飛んでいくわけだから。まあ、相手に当たればいいけど、うまく当たらなかった時は水のないプールに飛び込むみたいなもんだから、そんなこと僕は絶対できないなと思って…。それが、日本に帰ったらやっちゃうんですよ。
それが今度テレビで放送されると、やっぱり今までにない動きだからお客さんは騒いでくれる。ヒット曲みたいなものだから、各会場でそれが目当てになっちゃう。絶対やらなきゃいけないという。だから、毎日それがもう恐怖心でしたよ。
でも、半分はやっぱりお客さんの歓声であったりとか、それが自分の中で酔っちゃっているんですよね、だから、そうなると夜が明けるのが待ち遠しいぐらいに、ずっと地方を回ってましたね。
■2013年に長男デビュー 体の張りに「悔しいですね!へへへ」
──いつまでも戦っていたい気持ちがありますか?
ファンとか周りの人は多分、中には「藤波、そろそろいいんじゃないか」っていう人もいるでしょう。でもこれはもう自分はまあ、ただ自分が一つの自分のケジメというのか…。いつかは、それは体がもうリングに上がることすらも難しくなってくる時があるでしょうが、その時はしょうがない。リングシューズを脱ぎますけどね。
リング上に、1日でも上がっておきたいなってのはありますね。
──今の年齢だから見せられる戦いもきっとあると思います。
そうですね。だからやっぱりプロレスって…。やはり一番合わない格闘技に自分が飛び込んできちゃってんだけど、反対にそれが今、こうやって一番長くいるっていうのは不思議でならない。
幸い、うちの息子(※2013年デビュー・LEONA)がレスラーになったというのも、全く一緒で、彼も格闘技を全く知らないところから。学生時代ずっとゴルフしかしてないので。それがある日突然、プロレスという世界に目覚めたというのか…。
だから僕は息子と今張り合ってますよ。いつもだからね。今は別々に住んでいますけどね。時たま会うと、息子の方が体の張りがいいんですよ、水をはじくような感じで。僕なんか水が染み込んでくるからね。へへへ。
──悔しいですか?
悔しいですね。まだでも気持ちの中では「そうはいかん!」って。
──プロレスって不思議なのは、これまでの人生が滲むとかあるじゃないですか。立っているだけで存在感で目がいく。
それは幸せですよね。本当にこう、ファンの方がやっぱりそういう中で見てくれる人がいるってのがね。