×

中日ドラゴンズ2位指名・吉田聖弥投手、ドラフトで流した涙の意味とは...?期待の社会人No.1サウスポー、武器は「止まって見える」“生意気”なチェンジアップ

2024年11月30日 13:00
中日ドラゴンズ2位指名・吉田聖弥投手、ドラフトで流した涙の意味とは...?期待の社会人No.1サウスポー、武器は「止まって見える」“生意気”なチェンジアップ

“社会人No.1サウスポー”と評され、ドラゴンズの即戦力として期待を集める吉田聖弥投手。ドラフト会議で流した涙の裏には、けがとの戦い、引退を引き止めたコーチの言葉、苦悩を乗り越え続けた4年間の社会人野球時代がありました。

武器は“生意気”なチェンジアップ!?

サラサラヘアとさわやかな笑顔がトレードマークのこちらの選手。先月行われたドラフト会議で、中日ドラゴンズから2位指名を受けた『西濃運輸』所属の吉田聖弥投手(22歳)です。

ドラフト会議終了後、「時が止まったではないですけど。すごくびっくりしたところもありましたけど、時間がたつにつれてうれしいです」と、指名の喜びを口にした吉田投手。その実力は、“社会人No.1サウスポー”と評され、ドラゴンズの即戦力として期待されています。

その大きな武器が、『止まって見える』というチェンジアップ。その意味について、吉田投手は「普通、チェンジアップといえば落ちるボールだけど、僕のチェンジアップはちょっと違って、落ちないけど来ないみたいな」、「“生意気”なチェンジアップって、よく言われます」と答えます。

チェンジアップとは、ストレートと同じ腕の振りで投げられるスピードの遅いボールのこと。吉田投手が空振り三振を奪取した映像を見てみると、バッターは“チェンジアップ”を“ストレート”だと錯覚。バットを振るタイミングが、あきらかに合っていないのがわかりました。

この止まって見えるチェンジアップと早いストレートを織り交ぜ、打者をもてあそぶ様子から、“生意気なチェンジアップ”と呼ばれるようになったといいます。

チームメートが明かした「涙もろい」素顔

そんな吉田投手の素顔とは?岐阜県大垣市にある、『西濃運輸』野球部寮の吉田投手の部屋にお邪魔しました。

いい香りが漂う部屋のなか。香水が好きで集めているという吉田投手。「シーンに合わせてスーツ用や秋用だったり、キンモクセイが好きなので、SHIROの香水を秋はつけるようにしています」と香りへのこだわりを話します。

次に目を引いたのが、大量の服。洋服店のように丁寧にたたまれ、棚にきれいに並べられていました。その数なんと、アウター30着にパンツ20本!「古着多いです。アメカジ好きで」と話す吉田投手。続けて「楽しいじゃないですか、合わせたりするの」と、服好きの一面ものぞかせました。

美的センスの高さは、こんな場面でも発揮されていました。

「これ切ったほうがいい!」、「襟足なくしたい」など、寮で気にしていたのはチームメートの髪形。そんな吉田投手の様子に、チームメートたちは「髪切るのがこいつ好きで」、「いつも切ってもらってます。いつも吉田カットです。うまいので切るのが。いつもみんなの髪を切ってくれています」と話します。

なんと、チームメートの髪をカットする役目も担っていた吉田投手。付けられたあだ名は、“バーバー吉田”。さらにチームメートたち曰く、「涙もろい」という吉田投手。「子供っぽいです。子供っぽいしすぐ泣くし」、「けがしたら泣く、 打たれたら泣く、負けたら泣く」、「いっつも泣いてる」、「泣いてしかいない」と、涙もろい一面を感じたエピソードを笑顔で明かしました。

ドラフトで流した涙、吉田投手が野球をする理由

ドラフト会議でも、吉田投手の“涙もろさ”が垣間見えた場面がありました。

ドラフト指名後に行われた会見で、「社会人生活を振り返ってみていかがでしたか?」という質問に対して、「そうですね、本当に・・・。簡単ですけど、本当に苦しかったっていう4年間だった」と、涙を浮かべた吉田投手。

この涙にはどんな想いが隠されていたのでしょうか?

佐賀県出身の吉田投手。小学3年生の頃に野球を始めると、地元の高校を卒業し、『西濃運輸』に入社。レベルアップを求め、肉体強化に取り組み、入社時に60㎏だった体重は80㎏まで増加。球速も138㎞から149㎞と、10㎞以上アップしました。

しかし、社会人での4年間を振り返ると、「“苦しい”につきますかね」と答えた吉田投手。社会人での4年間は苦悩の連続でした。

2年目に左肩を負傷。そこから立て続けにけがに見舞われ、約1年間、投げられない日々が続いたのです。「本当にその間は苦しくて、野球をやめたいなって思いではありましたね」と、当時の心境を明かします。

”野球引退”

去年、本気でそう考えていたといいます。そんな吉田投手を変えたのは堀田晃コーチからかけられた、ある言葉でした。

吉田投手:
「『誰のために野球をやっているんだ』って言われて・・・」 

堀田コーチが吉田投手に投げかけた、この言葉の真意とは?

堀田コーチは、「吉田がやめますって言ってくるだろうと感じていたので。“最後の1年”ともし決めるのであれば、自分のためじゃなくて、今までお世話になった方々とかご両親のためにもう一回やってみなさいと。野球でどうこうというよりは、人として。彼(吉田投手)も優しいので、どこか響いてほしいなという思いがあったので」と話します。

「自分の脳裏にいろんな人の顔が浮かんできて、すごく涙があふれた」と、堀田コーチの言葉に涙した吉田投手。「堀田さんがいなかったらいまの自分はないですね」と感謝を述べました。

唯一の楽しみだった“オムライス”

苦しい時期を乗り越え、つかみ取ったプロの道。もう一つ、吉田投手が支えられていたものがありました。それは、4年間ほぼ毎週来ているという大垣市にある喫茶店『サンセット87』。

ここで必ず注文するものが、「チーズカルボなオープンオムライス」の大盛り。卵の下にはガーリックライス、たっぷりチーズのカルボナーラソースが吉田投手の定番メニューです。

うまくいかなかった時期も、「ずっと来ていた」という思い入れのある店と味。「唯一の楽しみというか。その楽しみのために、一週間頑張ろうって思っていた。励みというか、支えてもらったなと思う」、「これ食べたら間違いなく活躍できます!」と、自身を支えてくれたオムライスを口いっぱいに頬張ります。

約1ヵ月後には、大垣を離れプロ野球選手としての第1歩がスタート。今後の展望について、吉田投手は「けがをせず1年間やりきるっていうところと、将来的には沢村賞(シーズンで最も活躍した先発完投型の選手に贈られる賞)に向けて、段階を踏んでやっていきたいと思います」と力強く語りました。

最終更新日:2024年11月30日 13:00
中京テレビのニュース