×

記録を軒並み更新!パリ五輪出場の高校生スイマーが高校を卒業「目標は五輪個人で金メダル」 "肩甲骨の柔らかさ"と"両手の長さ"が大きな武器

2025年3月15日 7:00
記録を軒並み更新!パリ五輪出場の高校生スイマーが高校を卒業「目標は五輪個人で金メダル」 "肩甲骨の柔らかさ"と"両手の長さ"が大きな武器
村佐達也(むらさ・たつや)選手
名古屋市昭和区の中京大学付属中京高校で行われた卒業式。

号泣する担任の先生の後ろを晴れやかな表情で歩くこちらの男子高校生は…

2024年、競泳チーム最年少の17歳でパリオリンピックに出場した村佐達也(むらさ・たつや)選手です。

愛知県刈谷市出身で、競泳男子800m(4×200m)フリーリレーのメンバーとして、日本代表チームの7位入賞に貢献しました。

この村佐選手、パリオリンピック以後も進化が止まらないといいます。

伸びのある泳ぎは、天性の肩甲骨の柔らかさと両手の長さにあり

昨年11月に東京で行われた「ジャパンオープン2024」の男子200m自由形決勝レース。他を寄せつけない泳ぎで周りの選手を圧倒しました。

会場の実況アナウンス:
「村佐達也、1着でフィニッシュ! 1分45秒72の高校新記録!」

従来の高校記録を1秒近く縮める日本高校新記録を樹立して優勝しました。

大会に出場すれば、自由形の100m・200mで軒並み高校記録を更新!

昨年8月開催のインターハイから11月開催のジャパンオープンまで、半年足らずの間に新記録を次々に樹立。まさに"伸び盛り"という言葉がぴったりな高校3年生です。

そんな村佐選手の成長のヒミツを探るため、中京大中京高校の屋内プールへ。

赤木由布子アナ:
「速い!(動作が)スムーズですね!初めまして、村佐選手!魚みたいですね」

村佐達也選手:
「まあ、目標は魚なので(笑)」

インタビューするためにプールの中から上がってもらうと、まず気になったのはその体格。

赤木由布子アナ:
「スラッとされていますね」

村佐達也選手:
「(身長178㎝で)水泳界の中じゃそんなに大きくない。体も細い方です」

村佐選手の競技種目は自由形。自由形の選手といえば、筋骨隆々とした上半身の「ゴリゴリマッチョ」な選手が多い中、村佐選手はというと、とてもシャープな体形をしています。

ただ、体の“ある部分”に自慢の特徴があります!

村佐達也選手:
「上半身の背中の方を鍛えています」

赤木由布子アナ:
「ちょっと見せていただいてもいいですか?」

村佐達也選手:
「肩甲骨(背中の上部にある逆三角形の平らな骨)の部分がすごく柔らかくて」

赤木由布子アナ:
「肩甲骨……。人の肩甲骨って、こんなに突起するものでしょうか?(村佐選手が動かしてみせると)なんか生きているみたい……」

村佐達也選手:
「かなり動かせます、自由に」

赤木由布子アナ:
「(ボールペンを左右の肩甲骨の間に押し当てると)しっかり挟まってます」

さらに、身体的な特徴がもう1つあります。

178㎝の身長より、両手を左右に広げた長さが183㎝と長い村佐選手。
この腕の長さと肩甲骨の柔らかさを生かした泳ぎが、彼の大きな武器です。

村佐達也選手:
「やっぱり自由形は、世界で活躍する選手は体格が大きく筋力の強さで対抗してくるけど、僕はテクニックで勝負。手で水をかく時のキャッチ(水をかく直前に手のひらで水をつかむ動作)の高さを意識しています」

彼が意識しているのは、水をかいた時の手の位置。

村佐達也選手:
「どうしても水をかいてから体の外側に手が流れてしまう選手が多いですが、僕の場合は水をかいてからここ(着水点)で手を真っすぐにキープして、下に下ろす前にさらに前方に伸びるイメージ」

手を伸ばしたらすぐ水をかきたくなる動作をグッとこらえ、肩甲骨の柔らかさを生かしてもう一段階さらに手を前に出すイメージを意識しています。

1回でより多くの水をかき、より遠くへ進むことができるので、前に進む力も増すのです。

さらに、村佐選手が泳いでいる姿をよく見てみると……。

赤木由布子アナ:
「体が水から浮き出ていますね。水面をスーっと移動する感じです」

泳いでいても体がほとんど沈まず、頭からお尻や足までの全身がずっと水面に見えている状態をキープしています。上下運動のほとんどない点が、タイムロスを少なくできる泳ぎ方につながっています。

村佐達也選手:
「楽な感じで泳いでいるねって言われます。とにかく抵抗の少ない泳ぎを追究しています」

私たちにもできる"水面に浮くための簡単なコツ"を村佐選手に教えてもらいました!

村佐達也選手:
「お腹の力が緩んじゃうと沈むので、お腹に力を入れて体を水面に浮かせる。お腹をへこませるイメージです。お腹をへこませることで、体形が直線に近づきます」

この場面でも気になったのが肩甲骨。

赤木由布子アナ:
「ちょっと前から見てもらいたいんですけど。ここが……え?これって肩甲骨? 両脇からこんなに出るんですよ、肩甲骨が。人の体でひし形が作れるって知らなかった」

そんな村佐選手は今年3月に高校を卒業した後、東京の中央大学に行くことが決まっています。
高校生活の思い出について、村佐選手に聞いてみました。

赤木由布子アナ:
「高校3年間で、どんな行事が印象に残ってますか?」

村佐達也選手:
「文化祭です。3年生はクラスダンスをしたのですが、セーラー服を着てやりました。ももいろクローバーZの『行くぜっ!怪盗少女』を」

昨年7月開催のパリオリンピックの直後だったこともあり、文化祭では村佐選手は校内のみんなから引っ張りだこの大人気でした。

クラスメートの男子生徒:
「文化祭では、彼といっしょに記念写真を撮りたい人たちの行列ができてすごかった!」

クラスメートの女子生徒:
「すごかったよね。写真撮ってもらいました」

もがいて自身の手で変えてきた泳法と競泳人生

村佐選手にとって、高校での3年間は人生が大きく変わった期間でした。

実は2年前まで、彼が競技種目としていたのは長距離の1500m自由形。

中学生で競う全国大会では6位と、国内のトップ選手ではありませんでした。
ところが、高1の夏に転機が……。

村佐達也選手:
「(高1の時)リレーで200mに出る機会があり、そこで自分のタイムがかなり速かったので出場種目を変えようかなと考えました」

赤木由布子アナ:
「まさか200mが速いとは、って感じ?」

村佐達也選手:
「自分でもこんなに速く泳げるとは思っていなかったです」

高校1年生の夏に200m自由形に転向すると、そこから才能が一気に開花!
この種目を始めてわずか2年で、オリンピックの日本代表選手に!

それまで海外での試合経験はありませんでした。しかし、オリンピック出場でパリに行く機会が訪れたため、初めてパスポートを取得することになったといいます。

村佐達也選手:
「楽しかった。競泳のほぼ全レースをオリンピック会場で見ていた。見終わったら、寝られないくらいの衝撃でした」

赤木由布子アナ:
「あの会場にずっといたんですか?」

村佐達也選手:
「ずっといました。見ないと損だと思って。たくさんのレースを見たから、今の自分に満足せずにもっと上を目指そうと思えました」

彼の意識の変化は、中京大中京高水泳部の竹内晴紀監督も感じていました。

赤木由布子アナ:
「パリオリンピックの前後で変わったって、監督も感じますか?」

竹内晴紀監督:
「はい」

赤木由布子アナ:
「どういうところが?」

竹内晴紀監督:
「自信ありげな顔しているじゃないですか。さらにまた進化して、オリンピックに行くと、代表合宿などでトップの選手と触れ合う機会も多いから、そこでまだ吸収してきて」

パリ五輪を経て世界への思いを強くした村佐選手。オリンピック以後、高校記録を更新し続けています。その彼がさらに「進化させた」ものがターンです。

一般的なターンは、ターンをする前に①水をかく②壁を見て「気をつけ」の姿勢③回転の順で行います。
そのため、ターンの前にどうしてもスピードは落ちます。

それに対して村佐選手は、トップスピードで壁に突っ込み、手をかくと同時にターン。壁も見なければ、“気をつけ”の姿勢も作らない。コンマ1秒も無駄にせずタイムロスを極限にまで削ったスピード重視のターンです。

村佐達也選手:
「ターン前後のテクニックを意識しています。僕が特に意識しているのは、水をかくのといっしょに回転する、みたいな……」

赤木由布子アナ:
「壁にぶつかっていくイメージですもんね? 恐怖心みたいなものはないですか?」

村佐達也選手:
「それは、もうないです」

こうした試行錯誤はすべて、誰に言われるでもなく、自分で探求して変えて進化させてきたもの。

日本を引っ張る自覚が、村佐選手を世界へと押し上げます。

村佐達也選手:
「一番大きな目標は、ロス(米・ロサンゼルス、2028年開催予定)五輪の個人種目で金メダルを獲得すること。日本水泳界が停滞していると言われているし、どうしてもそう見られるのはイヤ。知らない人にも水泳の魅力を伝えていけたらと思うし、そのためには僕が活躍することが必要です。そのためにも頑張っていこうと思います」

最終更新日:2025年3月15日 7:00
中京テレビのニュース