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「いつも一緒に見てたプロ野球選手になったで」 急成長投手の活躍の裏にあった“壮絶な過去” 父は音信不通 母とは死別 野球の楽しさを教えてくれた“じいじ”も甲子園予選の直前に…【中日・松木平優太投手】

2025年1月9日 22:46
「いつも一緒に見てたプロ野球選手になったで」 急成長投手の活躍の裏にあった“壮絶な過去” 父は音信不通 母とは死別 野球の楽しさを教えてくれた“じいじ”も甲子園予選の直前に…【中日・松木平優太投手】
中日ドラゴンズの松木平優太投手
大阪府出身の中日ドラゴンズ・松木平優太投手。プロ4年目の2024年シーズンは、大きく飛躍した年となりました。

1軍の試合に出ることができない“育成選手”としてドラゴンズに入団。崖っぷちの4年目に2軍ウエスタン・リーグで躍動し、去年7月、ついに1軍のマウンドへ。すると、1か月もたたないうちにプロ初勝利を収め、初のお立ち台で思わず涙…。

育成から這い上がった苦労人。その涙の裏には、壮絶な過去がありました。

幼い頃に両親と別れ… 野球を教えてくれた“じいじ”の存在

この年末年始、松木平投手は地元の大阪に帰省し、母校・精華高校で野球部時代の後輩と自主トレを行っていました。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「あの頃(高校時代)を思い出すというか、ここからプロに行けたんだなと初心を思い出させてくれる」

もう一つ、松木平投手にとって大切な“野球の原点”があります。それは、高校時代に亡くなった祖父・正弘(まさひろ)さんの存在です。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「野球の原点はおじいちゃんなので、プロ野球選手になってここまでできているのも、おじいちゃんのおかげ」

2003年、インドネシア人の父と日本人の母の元に生まれた松木平投手。2歳の頃、両親が離婚して父とは音信不通に。

1つ上の姉と共に、大阪にある母の実家で暮らし始めますが、小学2年生のときに母・由美(よしみ)さんが、がんを患い亡くなってしまいます。

ここから祖父母が親代わりとなりました。

当時について、地元で看護師をしている姉・ゆにさんに話を聞くと…。

姉・ゆにさん(23):
「じいじとばあばが頑張ってくれてたおかげで、なにも不自由なく、やりたいことを伸び伸びと。おじいちゃんおばあちゃんがおすし屋さんを営んでいたので、いつも和食が多かったね」

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「フグ・カニばっかり出てきて『今日もカニ?』みたいな。今思えばバリがめついやん。なにが『またカニ?』やねん」

支えてくれたおじいちゃんとおばあちゃんのおかげで寂しさは感じなかった幼少期。松木平投手は特におじいちゃんっ子だったといいます。

そして、母の死から5年。中学から本格的に始めたのが“野球”でした。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「おじいちゃんもキャッチボールとか、一緒にランニングに付き合ってくれて。一緒にテレビで阪神タイガースの試合を見て、プロ野球選手になりたいなって思い始めて」

おじいちゃんから野球の面白さを教わり、夢中になっていった松木平投手。

しかし、またしても試練が待ち受けていたのです…。

「じいじ、天国で見守っていて」 松木平投手が“野球をする理由”

小学2年生の時に母を亡くし、祖父母に育てられた中日ドラゴンズ・松木平優太投手。再び試練が襲いかかったのは、高校2年生のときでした。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「交通事故ですね。あの元気だったおじいちゃんが…悔しかった」

祖父・正弘さんが不慮の事故で帰らぬ人となってしまったのです。亡くなったのは、夏の高校野球府予選の2日前でした。

当時を知る、高校の担任であり野球部監督だった蔭山(かげやま)さんによると、松木平投手は、グラウンドでは一切苦しんでいる様子は見せず、直後の大会にも出場し、普段と変わらない姿だったといいます。

しかし、姉・ゆにさんの目には、こう映っていました。

姉・ゆにさん(23):
「自分がしっかりしないと、おばあちゃんを支えないとって。結構おばあちゃんのこと気にかけたり、気丈に振る舞ってた」

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「ばれたくないというのがありましたね。いつもと変わらず頑張って明るく、一人の時はちょっと落ち込んで『マジでどうしたらいいの?』『なんでそんなこと起こるの?』『俺なんか悪いことした?』って悩みました」

自分の過去についてカメラの前で気丈に応えていた松木平投手でしたが…当時の記憶がよみがえり、思わず目頭を押さえます。

今でも思い出すと胸が苦しくなる高校時代。そんな過去を抱えながら、天国のおじいちゃんと今は施設にいるおばあちゃんに、プロとして活躍している姿を見せたいという一心で、ここまで這い上がってきました。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「野球ってこんなに楽しいんだぞって教えてくれたのはおじいちゃんなので、恩返しと感謝の気持ちを伝えたいです」

1月3日、松木平投手の姿は地元のお寺にありました。大阪市内にある共同墓地に、母・由美さんと祖父・正弘さんが眠っています。

2025年は1軍定着を目指す勝負の年。特別な思いで手を合わせました。

中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21):
「いつも一緒に見ていた(1軍の)プロ野球選手になったでっていうのと、じいじに野球見に来てほしかったわっていうことを伝えて。でも、天国で見守ってくれてるから、俺も安心して頑張れるから、これからも見守ってくださいって伝えました」

松木平投手の夢は、プロ野球選手として活躍して、いつか施設にいるおばあちゃんと暮らせるようになること。そして、どこかにいるはずの父に届くように“松木平”の名前を世界に轟かすことだと言います。

松木平投手の今年の活躍、全力で応援しています!

最終更新日:2025年1月9日 22:46
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