【特集】伝統の菓子店6代目は店を継ぐ予定のなかった主婦 子どもや亡くなった先代の後押しで事業承継に奮闘する姿に密着!

秋田市にある菓子の老舗が存続の危機を迎えたとき、立ち上がったのは、それまで店に関わっていなかった1人の主婦でした。
周囲に支えられながらも店の6代目として、のれんを守るために奔走する姿を追いました。
髙砂堂6代目 塚本明子さん
「見ていたのとやるのとでは全然違うなと思って、この1年過ごしてきました」
「昔からのお菓子の木型がたくさん入っていまして、例えばこちらは保戸野小学校の校章をかたどった木型ですね」
関向良子アナウンサー
「130年分残っているんですね」
長年にわたり、秋田市民に愛されてきた菓子。
歴史ある店が、節目の年に、存続の危機に立たされました。
モン髙砂堂 塚本真大さん
「もう店畳むしかないなって思いました、正直」
塚本明子さん
「明日あさって、ひいては131年、2年につながるように」
1年前までは主夫だった女性。
老舗ののれんを守る思いに迫ります。
■上皇上皇后両陛下にも献上 菓子の老舗の看板商品
江戸時代、佐竹家の居城だった久保田城のおひざ元で、商人の町として栄えた、秋田市の通町商店街。
旭川のほとりに、130年あまりの歴史を誇る菓子店があります。
1894年創業、「秋田銘菓 髙砂堂」です。
瓦葺の屋根に漆喰塗の壁。
建物は、国の登録有形文化財に指定されていて、明治から大正にかけての”和の面影”をいまに残します。
店内は一転して、洋風づくり。
鮮やかなグリーンの天井に、重厚感のあるダークブラウンの棚、ガラスのランプシェードと、“大正ロマン”がただよいます。
あん菓子や焼き菓子が並ぶ奥行きのある店舗を進むと、工場が見えてきます。
ここで作られているのが、髙砂堂で約1世紀にわたり愛される看板商品「りんごもち」です。
秋田のもち米で作った羽二重餅は、まるで赤ちゃんのほほのようなしっとりとした手触り。
そこにさわやかなリンゴの香りが加わるこの銘菓は、上皇上皇后両陛下に献上されたこともある一品です。
■6代目は元主婦 いまは亡き先代と夫の思い
伝統の菓子作りから経営に至るまで一手に担っているのが、髙砂堂6代目、塚本明子さんです。
山形から嫁いで26年、主婦として家族を支えてきた明子さんが店を継いだのは、ちょうど1年前のことです。
明子さん
「洋菓子の方は、清お義父さん、主人の父親ですね。和菓子の方が主人。2人でやっていました。(主人は)今年の春で亡くなって4年になるんですけども」
6代目を継ぐはずだった和菓子職人の夫・健一さんと、洋菓子職人だった先代の清さん。
かつて髙砂堂のショーケースには、2人が作った和と洋、色とりどりの菓子が並んでいました。
明子さん
「清さんとは『明子さん大変かもしれないけども、俺まだまだ10年は大丈夫だから、支えていけるからな』って言っていただいたのを励みに。そのつもりで(清さんを)サポートしていこうと思っていたんですけれども、次の年、まさかの病気が見つかったので」
先代の清さんは、病気が見つかったあと、明子さんに菓子作りのいろはを伝えます。
明子さん
「体調がいいときは起きて、一緒にりんごもちだったり焼き菓子の製造を手伝っていたんですけれども、体調が悪くなればここに簡易ベッドを置いて、休みながらでした」
工程を見学することから始まった、伝統の菓子作り。
毎日の懸命な努力で腕を上げ、2か月ほどであんこの味が先代に認められるまでになりました。
明子さん
「年末でしたね。初めてひとりで作ってみました」
「体調が悪かったので、出来上がってから救急病院に運んだんですけれど」「私には直接は引き継いでほしいって言わないんですけれども、取材だったり、人に話している声が聞こえるんですよね。髙砂堂っていうのれんは、形が変わっても、一日でも長く残しておいてもらいたいなって」
■老舗ののれんを守る葛藤…支えた子どもの言葉と心強い味方
「あんこひとつ練ったことのなかった自分が、老舗ののれんを守れるのか」。
葛藤もありましたが、明子さんの背中を押したのは、子どもたちでした。
明子さん
「長男が、ちょうど(夫が)亡くなったとき、思春期であまり口数が多くはなかったんですけれど、毎日寝る前に『お母さん、明日もよろしくお願いします』って頭を下げるようになったんですね。『親に頭下げなくてもちゃんとあなたのことは守ってあげるから大丈夫だよ』って。ちょっと切なかったんですけれど、それが毎日毎日続いて、いまもうすぐ4年になるんですけど、まだ毎日、きのうもなんですけど、毎日言ってくれるんです、寝る前に。そうすると時間もたっているからか、すごく切なく感じたその言葉が、同じ言葉なのに、『お母さん、明日も頑張れよ。応援してるからな』って、最近はようやくとらえられるようになりましたね」
「子どものためにもお客様のためにも、先代の社長、主人のためにも、いまできることをやらなきゃなって。私は生きてるし、いっぱい失敗もできるって思えば、何も怖いことないなって考えるようになりましたね。それは主人と先代の社長が教えてくれたことなのかなって思います」
明子さんには、いま、心強い味方がいます。
洋菓子職人がいないいまの髙砂堂に、系列店が商品の一部を融通してくれているのです。
モン髙砂堂の塚本真大さんも、2年前に先代だった父を亡くし、店を継ぎました。
塚本真大さん
「我々のルーツの本家がもしかしたらなくなってしまうんだろうかって本当に考えたことがあったんですけど、こうしていま職人として、社長として継いでいただいたので、良かったなと本当に思いました」
■「のれんを引き継ぎたい」6代目の新たな挑戦
そしていま、明子さんは、新たな取り組みに挑戦しています。
繊細な上生菓子にも見えるのは、あんこを花びらに見立てた「花しぼり」。
県内にただ一人だという講師の指導のもと、この「花しぼり」の資格取得を目指しています。
明子さん
「抹茶のアイスとかにお花を添えてもかわいいかなと思ったり、りんごもちも添えつつ、お花も加えたりなんて思っています」
夢は、店にテラス席を設けてカフェを開くこと。
夫の健一さんが手がけていた生菓子のように、季節を感じる商品を提供したいと考えています。
明子さん
「なかなか経験のないままの事業継承だったんですけれども、この先もいろいろなことがあると思うんですね。その中で髙砂堂っていうのれんを引き継ぎながらも、形は変えても、その時代の新しい風を取り入れながら引き継いでいってもらえれば、多分先代の社長も一番喜んでくれるのではないかなって思います」
明子さんが6代目を引き継いでで、13日で1年。
菓子の老舗に、これからも新たな息吹をもたらします。