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【御嶽山噴火】家族を探し続ける人、災害の教訓を伝え続ける人…それぞれが過ごした10年間 山小屋は登山者に啓発活動「今いる場所は火山の中。噴火したらどのように身を守る必要があるか、親身になって伝えたい」

2024年10月2日 18:58
【御嶽山噴火】家族を探し続ける人、災害の教訓を伝え続ける人…それぞれが過ごした10年間 山小屋は登山者に啓発活動「今いる場所は火山の中。噴火したらどのように身を守る必要があるか、親身になって伝えたい」

2014年、秋晴れの空を灰色に染めた御嶽山の噴火。58人が亡くなり、いまも5人の行方が分かっていません。戦後最悪の火山災害から10年。行方不明の家族を探し続ける人、教訓を伝え続ける人...それぞれが見つめた“10年”を取材しました。

息子を探し続ける父「まだ見つけられず本当にごめん」

2024年9月27日午前11時52分、長野県王滝村。10年前、御嶽山が噴火した時刻に合わせて、黙とうが捧げられました。

“あの日”から10年。父を亡くした松井登輝也さんは、追悼式で「災害から10年。私は教師になり、このような経験を子どもたちに話すことがあります。父の思いを私が生きた教科書として伝えていくこと、災害の教訓を伝承していくことが、今後の私の務めだと思っています」と語りました。

2014年9月27日、突然噴火した御嶽山。58人が亡くなり、現在も5人の行方が分かっていません。

「(息子を)送り出したのが、つい先日のような感覚も少しあります」と話すのは、今も息子の行方が分からない野村敏明さん。自身も御嶽山に登り、息子を探し続けています。「いまだに連れて帰れずに、見つけてあげられずに、本当にごめんねという思いは伝えました」と心境を明かしました。

山頂付近で息子と、その婚約者を亡くした所清和さん。追悼式後、「(10年は)早いようで長いようで…」と、これまでの10年間を振り返りました。続けて、「(これからも)頂上まで行って、ヒマワリを手向けて、それが私のできる供養だと思っていますので。あと何年できるか分かりませんけど、頑張って登りたいと思います」と、これからの思いを話しました。

“火山灰の泥団子”を残し続ける理由

2014年9月27日、御嶽山にて撮影された1枚の写真。立ちのぼる噴煙を見つめる親子の姿が写っています。

「ほんの数秒の間、これどうしようっていうのを考えている状態」と写真について話すのは、名古屋市内で暮らす志知泰隆さんと長男の宗治さん。あの日、頂上付近で噴火を経験。“一瞬の判断”で近くの山小屋へ逃げ込みました。

そのときの動画には、小屋全体が一瞬で噴煙に覆われていく様子が収められていました。「(小屋のなかは)もう真っ暗で。数十㎝先の手が、見えないくらい真っ暗になって」と、当時の様子を振り返る泰隆さん。宗治さんは、「噴火したときも5分10分違っていれば、命も無かったかもしれない 命の大切さに気付きました」と話します。

あれから10年が経ち、大学生になった宗治さんが今も大切に持ち続けているもの。それは、山小屋から一緒に下山をした人につくってもらったという、“火山灰の泥団子”です。

実はこの“火山灰の泥団子”、噴火の翌年に志知さん親子を取材した際に、宗治さんが番組スタッフに見せてくれたものでした。当時のインタビュー時、「なぜ、“火山灰の泥団子”を今も残しているの?」という質問に対して、「火山のことを忘れないため」と話していた宗治さん。続けて、御嶽山について聞かれると、「一番好きな山」と答えていました。

その思いは今もなお、変わることはありません。

噴火から4年後、泰隆さんと宗治さんは再び御嶽山へ。当時はたどり着けなかった山頂から、“頂上の景色”を望むことができました。

噴火の経験から、命の大切を知った宗治さん。“火山灰の泥団子”を今も残している理由について、「やっぱりその日のことを忘れないように、これからも山に登るときは、気をつけるとか、そういうのを思い出せるように残します」と語りました。

噴石転がる“10年前の部屋”

御嶽山・山頂近くの山小屋『二の池ヒュッテ』。ここには、時が止まったままの部屋があります。

「当時、噴石が落ちて、床に穴が空いているんですけど。そのお部屋をそのままここに残しています」と、『二の池ヒュッテ』の女将・髙岡ゆりさんが案内したのは、あるひとつの部屋。

部屋の床に転がっているのは、約1㎞離れた噴火口から飛んできた噴石。当時、部屋に誰もいなかったため、けが人はいませんでしたが、噴石は天井を突き破るほどの威力で落ちてきました。

壁には2014年9月のカレンダーが掛けられたまま。この空間だけは10年前のままです。

この日、宿泊していたのは新潟県から訪れた山岳会。初めて御嶽山に登るという人もいるなか、“あの部屋”にも目を向けます。「生々しい…自然の脅威だから」、「上から落ちてくるのを想像すればひとたまりもない」など、部屋を見た人々からこぼれる言葉。

“噴火のすさまじさを「自分事」として考えてほしい”

そんな思いから、髙岡さんはこの部屋を残し続けています。

噴火後に初めて御嶽山に登り、この山小屋を復活させた髙岡さん。時が経つにつれ、登山者たちの“ある変化”を実感していました。「噴火を知らない方も、もちろんいらっしゃるし、ヘルメットを持ってくる必要性も全く考えていない。やっぱり10年という時間が経つと、人の記憶からは風化していってしまうのかなという印象はありますね」と話します。

髙岡さんがそんな思いを抱く理由のひとつが、必要な装備を身につけない「軽装登山」の増加。ヘルメットを持たず、なかには、スニーカーやサンダルで登ってくる人もいるといいます。

山頂近くの山小屋『二ノ池山荘』で支配人を務める小寺祐介さんも、髙岡さんと同じ思いを抱えていました。自らが撮影した当時の写真を登山者に見せ、啓発活動を続けている小寺さん。

「御嶽山がどういったものか、ちょっといまいち分かっていない方もいらっしゃるので。そういった方々にも、今いる場所が火山の中なんです、もし噴火したらどのように身を守る必要があるか、親身になってお伝えできればいいと思っています」と活動への思いを話しました。

御嶽山で、山小屋を営む責任。それは、山の魅力を発信すること。そして、噴火の教訓を伝え続けること。

髙岡さんは、「独立峰だからこその魅力ってあると思うんですよね。山頂に登れば、360度見える。天気が良ければ、富士山が見えて、中央アルプス、北アルプスってずーっと見えるわけですよ。独峰だからこその景色っていうのは楽しんでいただきたい」と御嶽山の魅力を語ります。

続けて、「まだ活動を続けているという“活火山”だということを考えていただきながら。火山だからこそ見られる、美しい風景はありますから。どちらも御嶽山の魅力として、感じていただければいいなと思います」と登山者への思いを語りました。

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