【立てこもり犯からの手紙】二度の「人質事件」を起こした男 出所→孤独→再犯、そして…
差出人は、2012年に愛知県の信用金庫で、2022年には埼玉県のインターネットカフェで、二度も人質立てこもり事件を起こした、長久保浩二被告だ。
被告は埼玉県の事件の裁判で、再び事件を起こす可能性を「半々」と答えた。
なぜ二度も立てこもり事件を起こしたのか。刑務所などへの再入率が“横ばい”の日本で、次の被害者を生まないためにはどうすれば良いのか――
長久保被告との10年におよぶやりとりから、記者はその答えを探すことにした。
▼なぜ立てこもり事件を起こしたのか? 動機を知るために始めた犯人との文通
2012年11月22日。愛知県豊川市の信用金庫で、男が男女5人を人質にとり立てこもる事件が起きた。当時、警察担当だった記者も現場に駆けつけた。
事件発生から約13時間後。捜査員の突入によって人質は無事解放され、当時32歳の長久保浩二被告が現行犯逮捕された。
なぜ「人質立てこもり」という凶悪事件を起こしたのか。記者は当時、裁判を待つ長久保被告と面会を重ね、同時に文通も始めたのだが――
<長久保被告からの手紙(2013年)>
『先日は御多忙にも拘らず、面会の為だけに御足労頂きまして、誠に恐縮です』
『動機は、大きく言えば、国を変えたいという事です』
『今回、私は、事件を起こした事で社会に一石を投じる事が出来たのでしょうか』
手紙の中に謝罪や反省の言葉はなく、語られたのは身勝手な主張。自分が起こした事件の影響を気にするなど、やりとりを重ねるほど、長久保被告が何を考えているのか分からなくなった。
犯罪心理学に詳しい大学教授に手紙の分析を依頼すると「自分をよく見せようとする心理が表れている。劣等感やコンプレックスが根強くあるのかもしれない」という。
裁判では「犯行動機は身勝手極まりなく、悪質」などとして、懲役9年が言い渡されたが、最後まで謝罪の言葉は無かった。
その後、名古屋刑務所で服役した長久保被告。事件の記憶が世間から薄れていくと同時に、記者との手紙も途絶えていた。
しかし、裁判から5年後。突然、刑務所から記者のもとに手紙が届いた――
<長久保被告からの手紙(2018年)>
『孤独のまま社会を恨んで憎んで復讐を目的として出所することだって可能でした。しかし、いろいろな出会いとつながりを通して更生しようと決めました』
正直なところ、記者の心の中には「もう関係ない」という思いもあった。更生への決意が綴られていたこともあり、返事は書かなかった。
▼二度目の人質立てこもり事件 手紙のやりとりを再開した記者は…
長久保被告から「更生」の手紙が届いてから4年。埼玉県川越市のインターネットカフェで、男が女性を人質にとり立てこもる事件が起きた。
その後突入した警察により確保された男の姿を見て、記者は目を疑った。42歳になった、長久保浩二被告。
1回目の事件で9年間服役し、刑務所を出てわずか2か月後のことだった。更生を誓っていたのに、なぜ――
記者は、当時埼玉県内の警察署に留置されていた長久保被告との手紙のやりとりを再開した。
<長久保被告からの手紙(2022年)>
『現在の自分を言葉で表わすとすれば、ずる賢い動物とでも言いましょうか…。理性から乖離した知性によって本能と自らの欲求を充足することを目論んだ怪物…なのかもしれません』
『刑務所は監視、管理されているが故に孤独を感じ難い所なのです。一方、社会は、誰も人のことを気に掛けている余裕なんてないのが現実です』
丁寧な筆跡は変わらなかったが、そこには相変わらず身勝手な言葉が並んでいた。出所後の社会で孤独を感じ、再び事件を起こしたのだという。
埼玉の事件の裁判を控えた長久保被告と面会するため、去年11月、さいたま拘置支所を訪ねた。事件当日とは違い落ち着きはらった様子の長久保被告は「更生しようみたいな真っすぐな気持ちっていうのは、正直、疑わしいんですよね」と淡々と話した。
「更生」の文字を綴った5年前、記者から手紙の返事がなかったとき、長久保被告はどう思ったのだろうか。
「またひとりになったんだなっていう感じですよね。やっぱり返ってこないと不安になるんですよ」
手紙を返さなかったことも、長久保被告が感じた“孤独”の一部になったのだろうか。話を聞いた記者は、少し後ろめたい気持ちになった。
なぜ、そしていつから“孤立”してしまったのか。記者は、山梨県にある長久保被告の故郷に向かった。
▼ゲーム好きなごく普通の少年が、なぜ立てこもり犯に…
長久保被告の実家を訪ねると、母親から話を聞くことができた。
4人兄弟の長男で、友だちや兄弟とゲームで遊ぶ普通の子どもだったという長久保被告。農業大学校に進学したが、交際相手が妊娠し結婚したのを機に、半年で中退した。2年後に離婚すると故郷を離れ、愛知県で住み込みの仕事をしていたが、その後窃盗や無銭飲食などをくり返し、29歳で服役した。その後も何度か刑務所に入り、次第に家族から孤立していった。
「あの子はもう中に入っていたほうが楽っていうのもあるのかもしれない。もうどうしようもないですよね」
母親は、そう語った。記者に宛てた手紙の中でも、刑務所ではあまり孤独を感じなかったと書いていた。
刑務所ではどんな姿だったのか。長久保被告と一緒に刑務所での生活を送った男性は「絵に描いたような模範囚だった」と語る。工場の班長を任されるなど、看守や受刑者から一目置かれる存在だったという。
1回目の事件の後、長久保被告は22年4月に出所すると、埼玉県内の建設会社に入社し、住み込みで働いた。その勤務態度は「超」がつくほど真面目だったという。しかし、同僚に過去を知られてしまったことで、入社2か月後には寮を飛び出した。出所時に50万円ほどあった所持金はすぐ底をつき、再び事件を起こしてしまった。
長久保被告が服役中に連絡をとっていた、更生支援を行う団体の元関係者は「いろんな方々と関わりを持とうと思って手紙を出したら、受刑中はそれなりの関係性を作れたけど、社会復帰したら返事が来なくなった。彼とすれば、受刑中の交流は何だったんだろうっていう思いはあった」と、長久保被告が再び事件を起こしたのは、やはり“孤独”が大きな原因だと語る。
11年前、長久保被告が立てこもり事件を起こした信用金庫は、老朽化のため取り壊された。しかし、人質となった女性は今も心の傷を訴えている。
これ以上被害者を出さないために、私たちの社会には何が必要なのだろうか。
▼「社会から取りこぼされる人を救いたい」出所者を雇い続ける運送会社社長
出所者を支援する取り組みは存在する。
去年、窃盗の罪で服役していた男性が出所した際、身元引受人となったのは、運送会社を経営する村上結美社長。出所者の社会復帰を支える“協力雇用主”だ。
男性は、今回が二度目の出所。これまであわせて6年半を刑務所の中で過ごしてきた。社会復帰への第一歩として、村上社長が経営する運送会社で働くことになっている。
再犯と密接にかかわる“孤独”。「人はひとりでは生きていけない」という思いから活動を始めた村上社長だが、うまくいくことばかりではない。「1年に6人採用したとして、3人は残る、3人は辞める。そのくらいの確率ですね」と語るが、それでも社会から取りこぼされる人を救いたいと、入社を希望する受刑者と面接を続けている。
刑務所などに入所する受刑者は、この20年間で半数にまで減少した。しかし、入所が2度以上の再入者の割合は横ばいで、2人に1人は再び犯罪に手を染めていることになる。
▼いつかは社会に戻る受刑者たち 彼らとどう向き合うのか
去年12月、さいたま地裁で行われた“2回目”の事件の初公判で、長久保被告は起訴内容を認め、犯行に至った経緯についてこう語った。
「孤独でした。社会からはじき出されたと思い、社会に対して復讐心をもちました」
そして、再び事件を起こす可能性は「半々」だと答えたのだ。
今回の裁判でも長久保被告は、謝罪の言葉を口にしなかった。「被害者の心情は分からない」のだという。
判決は、検察の求刑通り、懲役17年。裁判長は「反省が皆無で、再犯のおそれが強く懸念される」とその理由に触れた。
刑が確定すれば、出所するころには長久保被告は60歳となる。再犯を防ぐため、何ができるのだろうか。
10年越しで長久保被告を取材してきた記者は、現在は報道の現場を離れ、別の部署で働いている。それでも、今後も長久保被告とは何らかの関わりを持ち続けるつもりだ。
記者:
「片足を突っ込んでいると思うので、長久保被告の人生の中に。出てきた後に、もう一回起こさないための手立てをしなければいけないということもある。取材して判決出たから、はい終わり、という訳にはいかない仕事なんだなとわかった」
2022年、刑務所などに入所した受刑者は14,460人。そのうち8180人が、再犯による再入者だ。そのほとんどは、いつの日か社会に戻ってくる。
そのとき、彼らとどう向き合うのか。私たちひとりひとりが問われている。