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「どこにいるんだ、亮太…」 御嶽山の噴火で行方不明になった家族を探して10年 自費で捜索を続ける父と叔父の変わらぬ思い

2024年10月3日 6:00
「どこにいるんだ、亮太…」 御嶽山の噴火で行方不明になった家族を探して10年 自費で捜索を続ける父と叔父の変わらぬ思い
亮太さんの父・野村敏明さん

雄大な自然が広がる御嶽山で、懸命に家族を探し続ける人がいます。2014年9月27日に発生した御嶽山の噴火で家族が行方不明になりましたが、長野県などによる大規模な捜索では見つからず、山に登り続け、当時の記憶を呼び起こしながら探し続けています。噴火から10年という区切りを迎えた今年、被災者家族による「山びこの会」は捜索の打ち切りを発表しましたが、山岳捜索のプロと共に、家族は再び険しい谷へ向かいました。家に連れて帰りたい。その一心で、懸命に探し続ける家族の10年の記録です。

10年前の御嶽山噴火で19歳の息子が行方不明に…

“戦後最悪”といわれた御嶽山の噴火。発生翌日から大規模な捜索活動が始まりましたが、そこで目の当たりにしたのは、現実とは思えない、あたり一面火山灰が降り積もった別世界でした。

死者58人。そして、今も5人が行方不明のままです。

愛知県刈谷市に住む野村亮太さん(当時19歳)も、行方不明者の一人。当時、父・敏明さんは連日長野に通い、亮太さんの帰りを待ち続けていました。

亮太さんの父・野村敏明さん(64):
「待機所でずっと待ち続けて、日がたつにつれてだんだん人が減って。発見された人の家族は帰っていくから。最後まで残されて、結局見つからず」

御嶽山の噴火は剣ヶ峰山頂付近で発生。その近くにある「八丁ダルミ」という登山道で、亮太さんは噴火に巻きこまれました。

当時、一緒に登山していた叔父・正則さんによると、噴火に気づき、山小屋を目指して二人は必死に走りましたが、亮太さんが落とした携帯電話を拾おうと正則さんが少し引き返したわずかな隙に、噴煙で視界が遮られ、亮太さんとはぐれてしまったといいます。

亮太さんの叔父・野村正則さん(61):
「10年間、まだ未だに亮太を待たせているという思いが、私にとっては一番本当につらい。亮太にとっては申し訳ない」

噴火が起きた2014年は、二次災害の危険があることから10月に捜索を打ち切り。翌年、再開されますが、5人の行方不明者を残し、すべての捜索が終了したのです。

野村さん家族にとって登山は身近なものでした。初めての登山は噴火の3年前。亮太さんは、父・敏明さんと叔父・正則さんの3人で富士山を訪れました。

正則さんが登山に誘うと付き合ってくれる優しい一面があったという亮太さん。普段は決しておしゃべりな方ではなかったそうですが、登山ではいろいろなことを話してくれたといいます。

10年前の御嶽山登山も楽しい思い出になるはずでしたが、その最中に噴火が発生し、亮太さんは行方不明に…。大切な家族を連れて帰るため、亮太さんの足取りを追う活動が始まりました。

噴火から2年後の2016年。当時は立ち入りが制限されていたため、写真や記憶を頼りにドローンで捜索が行われました。持っていたタオルやリュックなどが亮太さんが逃げたと思われるあと、一直線上に発見されており、見つかっていないのは、持ち主の亮太さんだけ。捜索を阻んでいた立ち入り規制は、2018年頃から徐々に緩和されていき、2020年には、亮太さんとはぐれた「八丁ダルミ」での捜索も、特別に許されるようになりました。

「あの時、亮太だったらどうやって逃げたのだろうか…」

2020年に行われた捜索では、あの日の亮太さんの影を追うように、岩場を懸命に走る正則さんの姿がありました。

亮太さんの叔父・野村正則さん(61):
「亮太は僕が連れて行ったから、なんとしてでも連れて帰ってやりたいという思いもあるし、亮太も絶対おじちゃんが戻ってきて連れて帰ってくれると思っているから」

正則さんの自宅には、亮太さんが幼い頃に描いた似顔絵や写真が飾られていて、2人の仲の良さがうかがえます。だからこそ「一日でも早く見つけてあげたい」という思いで、正則さんは今日まで捜索を続けてきたのです。

“被災者家族の会”は無念の捜索終了を発表するも…父は独自捜索を決断

今年7月。慰霊登山のために集まった被災者家族の中に、正則さんに声をかける男性がいました。噴火で息子を亡くした荒井寿雄さん(82)です。体力面に不安を抱えていましたが、慰霊登山のために日々トレーニングを重ね、「這ってでも息子に会いたい」と山頂を訪れました。当時の痛みを知る家族たちは、この10年で歳を重ね、高齢化が捜索を続ける上で不安材料となっていました。

そうしたなかで、行方不明者の捜索を続けてきた「山びこの会」事務局代表・シャーロック英子さんが、噴火から10年の区切りを迎えた今年、今までのような捜索は行わないという、苦渋の決断を下しました。山岳捜索のプロに現地調査を依頼した結果、10年という歳月が招いた厳しい現実に直面したからです。

調査を行ったマウンテンワークスの三苫育代表は、「人間が人間としての形を保てる時間は非常にわずかであって。ばらばらになってしまって、それを骨であると認識するのは非常に難しい時期になっている」と話します。

その報告を聞き、かなり落ち込んだという父・敏明さんと叔父・正則さん。しかし、「可能性はごくわずかでも、やらなければゼロになる」と、現地調査をした会社に自費で依頼することを決断しました。

「絶対連れて帰る」 家族が再び御嶽山へ…

捜索が行われた9月23日の朝、御嶽山は快晴となりました。

これまでは、亮太さんが滑落した可能性のある谷を中心に捜索してきましたが、今回は谷に沿ってさらに400メートルほど下ります。谷筋を目指し急斜面を進んでいくと、スタッフが転倒。常に危険と隣り合わせです。

捜索現場では父・敏明さんが岩の間から劣化した手袋を発見。さらに、靴底のようなものも見つかりました。

捜索に同行したマウンテンワークスの三苫代表は「靴の中に足の骨が入っていることがたまにある」と話しますが、ここは土石流や近年の大雨で地形が大きく変わった場所。亮太さんの手がかりとなるものを見つけることはできませんでした。

叔父・正則さんは花を手向け、「どこにいるんだ、亮太。出てこいよ…」と、この山のどこかにいるはずの亮太さんに語りかけます。

亮太さんの父・野村敏明さん(64):
「この広い御嶽山の斜面、探せば探すほど深みにはまっていく感じもあるので、(捜索の)状況を聞いてアドバイスをもらいながら(見つけるための方法を)考えます」

御嶽山の噴火から10年。どれほど時間が経とうと、連れて帰るその日まで、家族を思う気持ちは変わりません。

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