【昭和100年 映像館⑦】日本初のBBQ!? 木曽川で鮎を焼いて楽しむ 昭和10年
昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代にたくさんの映像を残したカメラマンがいました。そのカメラマンがレンズ越しに見た昭和の貴重な映像を紹介します。第7回目は、木曽川で鮎を捕まえてBBQです。
香魚とも呼ばれる鮎は、育った川の名前がつけられるほど古くから日本ではなじみ深い魚です。清流の象徴とも言われる鮎は、苔やプランクトンを食べ、ハラワタに臭みがなく、育った川の苔の味がすると言われています。この地方では、長良川の鵜飼。木曽川の犬山の鵜飼など、古くから鮎漁が行われていました。江戸の将軍へ献上され、現在でも皇室へ献上されています。そんな鮎を木曽川の河原で焼いている様子は、まさにBBQの元祖のようです。BBQとは、【barbecue】「肉・魚介・野菜などを直火であぶり焼きにする野外料理。」(広辞苑)とあります。その由来は、カリブ海の西インド諸島で現地の人たちが「肉の丸焼き用の木枠」を指す言葉で、スペイン語で【barbacoa】になり、英語で【barbecue】になったと言われています。このBBQは、アメリカ
で発達した料理と言われていますが、日本でも直火であぶり焼きにした料理は、古くから親しまれていたようです。大正・昭和、平成、そして現代、BBQは、レジャーのひとつとして、定着したようです。
【作品解説】
名岐鉄道(現:名鉄)が、昭和10年4月に押切町駅(名古屋市西区)から新岐阜駅間で特急運転を開始しました。映像は、昭和10年の6~7月頃と推測されます。所要時間は、35分。冒頭の駅舎は、当時の名岐鉄道・押切町駅とみられます。名岐鉄道は、昭和5年~昭和10年まで存在しました。その後、愛知電気鉄道と合併し、昭和16年に新名古屋駅が開業します。列車が出発して、鉄橋が写っていますが、木曽川橋(愛知・一宮市~岐阜・笠松町)とみられています。
木曽川の河原で船にのり、鮎漁を楽しみます。男性の頭には、みんなカンカン帽が。このカンカン帽は、麦わらにニスを塗って固くしたモノ。叩くとカンカン音がするからとも云われています。元々欧米では、船員たちがかぶっていたモノで、大正時代には、モダンな若者たちの間で流行しました。船に乗った一行は、石を投げ、竿で川底をつついて、川底の石に隠れているアユを驚かせて網へと追い込みます。河原にある石で即席のコンロを作り、鮎の塩焼きや天ぷら、鮎めし(雑炊?)を楽しんでいます。映像に映っているビールの値段は、当時、約33銭(昭和10年
)。コーヒーが約10銭。物価を時代で比較する事は難しいのですが、当時の小学校教諭の初任給は、45~55円だったことから見ると生活に余裕の或る人たちのBBQの様です。鮎の値段に関しては、なかなか詳しい資料が残っておらず不明ですが、この一帯の人たちの食卓には、鮎は年々漁獲量が減少して、鮎や鰻、ドジョウにタニシなどが食卓に上がっていたと言います。
今では、食べる機会も減ったようですが、大正から昭和にかけて、鮎は、人々のちょっとした贅沢だったようです。
【参考文献】
・名古屋鉄道「120年の軌跡」
・広辞苑第七版 岩波書店
・物価の文化史 展望社
【撮影者説明】
横井湖南氏:名古屋生まれ 1910年~1957年
昭和の初め、映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在
【映像提供】
横井克宜氏