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【キャッチ】パラリンピック金メダルを目指す24歳柔道家 「今の自分は“修猷柔道部”のおかげ」 福岡

2024年1月31日 17:58
【キャッチ】パラリンピック金メダルを目指す24歳柔道家 「今の自分は“修猷柔道部”のおかげ」 福岡
パラリンピック金メダル目指す24歳柔道家
特集「キャッチ」です。3年前の東京パラリンピックで、初出場ながら銅メダルを獲得した福岡出身の柔道家がいます。ことしはパリで“世界の頂”を狙う勝負の年です。その思いに迫ります。

去年12月27日、福岡空港に降り立ったのは、福岡県糸島市出身の柔道家・瀬戸勇次郎選手、24歳です。練習拠点を置いている茨城からの帰省です。

■瀬戸勇次郎選手
「1か月ぶりくらい。(Q.地元に帰ってきた感じは?)飛行機降りて出てきたこの景色、やっぱり福岡だと思う。」

瀬戸選手は、ことし開催される「パリ・パラリンピック」の視覚障害者柔道で、金メダル獲得が期待される1人です。

視覚障害者柔道の最大の特徴は、健常者の柔道と異なり、組んだ状態から始まることです。

■瀬戸選手
「見えづらいからこそ組手争いは見える人に比べれば苦手にしていたと思いますけど、それも比べようがなかったので、単純に自分が組手争いは下手なんだなというふうに思っていた。」

瀬戸選手は4歳の時、地元のスポーツ少年団で柔道を始めました。

全体的に視界がぼやける弱視と、明るい色とまぶしさを苦手とする色覚の異常があります。

日常生活ではサングラスをかけ、目元まで近づけなければ文字を読むことはできません。

それでも努力を惜しまず、県内屈指の進学校・修猷館高校に進みました。

柔道部の一員として、高校3年の時には団体戦の全国大会「金鷲旗高校柔道大会」に出場し、健常者の強豪選手を相手に健闘しましたが、本人は次のように語ります。

■瀬戸選手
「(高校時代は)苦しかった思い出がたくさん。高校時代そんなに勝てなかった。ずっと投げられてばっかりで、なかなか思い通りにはならなかったことがたくさんあって。」

柔道部の恩師・藤原誠監督は、入部したころの瀬戸選手について、こう話します。

■修猷館高校 柔道部・藤原誠監督
「(入部当初は)引っ込み思案だったので、体も小さく、柔道大丈夫かなという印象。」

そんな瀬戸選手の姿勢に、変化が訪れるきっかけがあったといいます。

■藤原監督
「(修猷館には)大運動会と大文化祭があって、(大運動会で)組み体操をやる種目で、瀬戸選手が150人くらいの集団をまとめる長に立候補して、それを成し遂げた。自分の中で、やっぱり積極的に何でも全力でやれば自分に返ってくるという精神が、高校3年間の中で身について、チャレンジ精神が旺盛になって。」

そんな瀬戸選手が視覚障害者柔道に出会ったのも高校時代です。17歳の時に声をかけられ、初めて出場した学生の全国大会でいきなり優勝し、さらなる飛躍を期待される存在になりました。

■瀬戸選手
「優勝して、そこからもう視覚障害者の中では勝てるのかもしれないと思って、その後の試合も出るようになりました。」

その後も実績を重ね、3年前の東京パラリンピックでは男子66キロ級の弱視クラスに初出場し、銅メダルを獲得しました。

次なる目標は“悲願の金メダル”、そう意気込んでいましたが、東京パラリンピック後に階級の統合が行われ、瀬戸選手は66キロ級から7キロも重い73キロ級に階級を上げなければなりませんでした。

■瀬戸選手
「もう圧倒的に違う。8月(世界選手権で)1回戦負けをして、そこからはもう体でまずイーブンにならないと難しいんだなっていうのを感じた。」

去年12月、世界の強豪が集う「グランプリ大会」が東京で開催されました。

フィジカルを鍛え直して臨んだ瀬戸選手は、攻めの柔道を繰り広げます。海外の強豪を次々に撃破し、見事、優勝を果たしました。

年が明けたばかりの1月2日には、新年2日目に母校で行われる恒例の“初稽古”がありました。

■瀬戸選手
「一年の始まりはここで稽古するっていうのは毎年のことなので。」

パラリンピックイヤーも、ここからスタートを切ります。

■瀬戸選手
「自分がこうしていられるのも、 この“修猷柔道部”のおかげ。恩返しとして少しでも多く、今の柔道部に練習に来て、後輩たちにいろいろ教えられたと思っている。」

現役高校生の後輩たちが稽古をつけてもらおうと、次々に瀬戸選手のもとへ来ます。

■修猷館高校 柔道部・凌希実 主将(17)
「自分のほうが1個(階級が)重い。(瀬戸先輩は)組手もうまいので、力で瀬戸先輩の得意な方向に持っていくんで、やっぱすごいなと思う。」

瀬戸選手は母校での初稽古で大いに刺激を受けたといいます。

■瀬戸選手
「十分強くなれる時間はある。その中で一番いい状態をつくることができれば、(パリで)金メダルも十分取れる位置にいると思う。」
「ただ、厄年なんですよね…。それを跳ね返すぐらいの勢いで頑張っていきたいと思う。」

厄年なんてなんのその、パラリンピック2大会連続のメダル獲得、そして“世界の頂”を狙います。