「これが最後のチャンス」病を押して語り続ける被爆者の森重昭さん 広島
被爆して亡くなったアメリカ兵捕虜の調査で知られる被爆者の森重昭さん。森さんは2024年、腸の病気で手術を受けながらも講演を続けています。病を押して語り続ける被爆者の決意です。
■被爆者 森重昭さん
「生きているのが不思議なくらい。だけど、最後のチャンスだと思って」
被爆者の森重昭さんは87歳です。腸の病気を患い入院したのは2024年6月でした。手術を受け退院しましたが、体重は2か月足らずで12キロ落ちました。
■被爆者 森重昭さん
「しんどいなんてもんじゃない。だけど僕がやらなかったら誰がやるか。そういう思いでね…」
8歳の時に爆心地から2.5キロの自宅近くで被爆した森さん。働きながら広島で被爆し亡くなったアメリカ兵捕虜について調べ始めました。長年の調査で12人の身元を特定。被爆米兵の存在が広く知られるようになりました。その功績が認められ、2016年には広島を訪れた当時のアメリカのオバマ大統領と対面。調査を始めて50年近く経った今も、森さんの話を聞きたいという依頼は絶えません。
■被爆者 森重昭さん
「目に見えない放射線で多くの人がずっと苦しむ」
2024年7月には、スイスで開かれた核軍縮の国際会議に招待されました。しかし、体調がすぐれず渡航を断念。”思い”を自らの言葉で伝えようと、ビデオメッセージを送りました。
■森重昭さんのメッセージ
「戦争反対!かけ声だけではだめです。本気で平和運動をしてください」
2024年6月から入退院を繰り返していた森さん。この日も広島市内で講演の依頼を受けていました。
■妻・佳代子さん
「本当にきょうも『大丈夫?どうする?行くの?行かないの?』って問答して。でも止めることはできません」
■被爆者 森重昭さん
「本当はね、したくない。言葉がちゃんとしゃべれないからしたくない。だけど、僕の代わりに誰か話ができるか、誰もできない。だから小さな声でもいいから、一生懸命話をしよう。79年前の話を一生懸命したらきっと聞いている人はわかってくれるに違いない。だから僕にとってはこれは一生で唯一のチャンスだと」
森さんの話を聞こうと、30人以上が集まりました。講演会に先立ち上映されたのは、森さんの半生を描いた映画「ペーパーランタン」です。映画は、アメリカ人のバリー・フレシェット監督が、被爆死したアメリカ兵の遺族とともに広島を訪れ、撮影しました。フレシェット監督の言葉が今も森さんを支えているといいます。
■被爆者 森重昭さん
「私が自分のためにやったんだったら、誰もついてこない。だけど、多くの人のため平和運動をするんだったら、みんながついていくよ。それを伝えてくれました」
森さんは、人生をかけて取り組んだ調査への思いを1時間以上かけて伝えました。
■講演を聞いた人
「何十年も積み重ねられた努力の上に今があって、本当に大きなお役目を果たしてくださったなと感謝しております。ありがとうございます」
■被爆者 森重昭さん
「反応があるからね。それに応えようとするから、だから、こういう状況でも喋った。これからもがんばろうと思う」
講演会の翌日。森さんは再び体調を崩し入院を余儀なくされました。これからも伝え続けたい。この日、新たにした決意が87歳の被爆者の生きる力です。
【2024年9月4日 放送】