【特集】阪神・淡路大震災30年 亡き息子の学友と交流を重ねた母 新たに知った息子の姿とは… 広島
阪神・淡路大震災は1月17日に、発生から30年を迎えました。震災で息子を亡くした広島の女性は、息子の学友たちと交流を重ねてきました。そして今回、新たに知った30年前の息子の姿がありました。
1月17日。神戸大学で開かれた追悼行事に、広島から参加した加藤りつこさんは、30年前にひとり息子を震災で亡くしました。
■加藤りつこさん
「神戸大学を卒業もできずに逝ってしまった。私も本人の無念を抱えながら、自分の無念もずっと抱えて生きてきた30年。」
■加藤貴光さん(1994年)
「神戸支部の委員長をさせていただいています、加藤貴光です。」
長男・貴光さんは国連の職員を夢見て、神戸大学に進学しました。国際交流サークルの代表に就任した直後でした。
30年前の1月17日。「最大震度7」の揺れが阪神・淡路一帯を襲いました。下宿先のマンションは倒壊し、貴光さんは、21歳でこの世を去りました。大学2年生でした。
■加藤りつこさん
「(神戸大学に合格して)念願かなって「よっしゃ」っていったときに亡くなったわけですから、それがむごくて。でも、大学に名前を刻んでもらっているから「ここにいた」「ここの学生であった」という証が、あの慰霊碑にあるので、私は本当に心が休まるんですよ。」
体が動くうちは、大学へ足を運び続けると決めています。
1月18日。りつこさんが心待ちにしていたことがありました。貴光さんが代表を務めていた国際交流サークルが、貴光さんのために開いた同窓会です。震災後、倒壊したマンションに駆け付け、貴光さんの死を知った友人たち。共に悲しみ、寄り添い続けてくれた彼らとの交流は30年続き、絶望の淵にいたりつこさんを支えてきました。
■貴光さんの先輩 渡辺直樹さん
「(広島に遊びに行ったとき)加藤とお母さん(りつこさん)の会話聞いてると、親戚のおばちゃんと話してるみたいな感じだったんですよ。『あの人誰?』『お母さんですよ』『あれお母さんなの?』って。」
思い出話で盛り上がるなか、初めて声をかけてきた女性がいました。
■貴光さんの先輩 久保朝子さん
「16日の晩に貴光さんと電話して、(飲み会の予定を)今度詰めようねって、おやすみって言った次の日にだったんです。(すぐに言えなくて)ごめんなさい。」
地震の前日、午後11時。息子と電話をしたと打ち明けられました。
■加藤りつこさん
「ずっと思っててくれただけでも、すごくうれしいです。よく来てくださいました。私もずっと最後の声が聞きたいって、ずっと思って生きていたので。」
あの日から30年。息子は2025年も、新たな出会いを運んでくれました。母と友人たちの絆は、これからも続いていきます。
■加藤りつこさん
「貴光に対しての思いがね、みんなそれぞれの心にしっかりと刻んでくれていると思った時に、とってもあたたかい気持ちになりました。そのあたたかい涙でした。」