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【戦後80年】キノコ雲の上と下~祖父は原爆を二度投下した 祖父は広島長崎で被爆した~(ダイジェスト)

2025年3月10日 11:40
【戦後80年】キノコ雲の上と下~祖父は原爆を二度投下した 祖父は広島長崎で被爆した~(ダイジェスト)

■アリ・ビーザーさん
「僕の祖父は爆弾を落とした両方の飛行機に乗っていた唯一の人物です」

■原田小鈴さん
「キノコ雲が追いかけてきた。自分を広島から長崎まで追いかけてきた」

広島と長崎。二度原爆を落としたアメリカ人。二度被爆した日本人。
孫たちがあの日の記憶をたどる。

広島市の平和公園。アメリカ人の映像作家アリ・ビーザーさんは、毎年のように日本を訪れている。

広島に原爆を落としたエノラ・ゲイ。長崎に落としたボックス・カー。その両方に乗っていた唯一の人物ジェイコブ・ビーザーは、アリさんの祖父にあたる。

■アリ・ビーザーさん
「小学1年生の時、先生に『アリくん、あなたの祖父が何をしたかみんな知っている。戦争を終わらせるための作戦に加わったんです』と言われました」

アリさんが被爆地を訪れたのは、被爆3世の原田小鈴さんに会うため。原田さんの祖父、山口彊(やまぐちつとむ)さんは…、

■山口彊さん
「地獄を二度這い上がってきた男ですよ」

29歳の時、出張先の広島で被爆。その3日後、ふるさと長崎で再び被爆した「二重被爆者」。

二度、原爆を落とされた祖父と落とした祖父。2人は、彊さんの足跡をたどっていた。

1945年8月6日。

■山口彊さんの手記より
「腕時計は午前8時を回ったところ。遠くかすかに聞き慣れたB29のエンジン音が聞こえたような気がした。そのとき、私は見た。小さな白い落下傘がふたつ。『何だろう?』そう思った瞬間だった。地上に白い光が満ち、中空に炸裂し、膨張する大火球を見た」

彊さんは爆風で吹き飛ばされ、左半身に大やけどを負った。

■原田小鈴さん
「(祖父が)男の子3人に会うんだけど、その男の子3人も大やけどで、その子たちを助けたくても、自分も大やけどをしているから助けきれずに」

■アリ・ビーザーさん
「想像できない…ほんとに」

もうひとつの被爆地、長崎。2人は、彊さんが2度目に被爆した場所を訪れていた。

■アリ・ビーザーさん
「彊さんは同僚に広島についてなんと話しましたか?」

■原田小鈴さん
「新型爆弾が広島では落ちてたくさんの人が死んで、その中を亡くなった人たちの上を歩いて帰ってきたっていうふうに話すんですが、全然信じてもらえなかった上司にも」

■山口彊さんの手記より
「とにかく、その爆弾にあった者でないと、納得する説明はできんです。ムッとしてそう言い切らぬうちに、目の端にピカッと発した閃光を窓外に認めた」
「あっ!」

二重被爆の後遺症を抱えながら生きた彊さん。93歳で生涯を終えた。

広島市の原爆資料館には、2度原爆を投下したジェイコブさんの手記が保管されている。

■ジェイコブさんの手記より
「たった数分前まで静かで平和だった広島のまちが、激しく沸き立つ煙と炎に包まれていた。機内にいる全員が悟った。この新しく恐ろしい兵器は、戦争を簡単に終わらせるかもしれないと」

■アリ・ビーザーさん
「両方キノコ雲の上と下の三世代の人は、たぶん難しい気持ちがありますね?でも小鈴さんがやさしい。いつもやさしい。なんでやさしい?」
■原田小鈴さん
「アリが勇気を持って会いに来てくれたから」

彊さんはこんな言葉を残している。

■山口彊さんの手記より
「本当のこと、真実は、国境を越えて伝わっていくだろう。たとえ、その伝える声が初めは小さくとも、その囁きを聞く人はいるはずだ。だから、諦めてはいけない」

最終更新日:2025年3月10日 11:40