【訃報】元水俣市長 吉井正澄さん死去 市長として初めて公式に水俣病患者に謝罪
吉井正澄さんは1994年に水俣市長に初当選し、直後の水俣病犠牲者慰霊式で歴代の市長として初めて公式に患者に謝罪しました。
■吉井正澄市長(当時)
「犠牲になられた患者さんに対し、十分な対策を取り得なかったことを誠に申し訳なく思います」
翌年の1995年には、当時の自社さきがけの村山政権と被害者団体の間に入って粘り強く交渉し、政治解決の実現に尽力しました。
さらに吉井さんは、市民どうしの融和を意味する「もやい直し」を掲げて、水俣病問題で疲弊、分断された市の再生に精力的に取り組みました。
■吉井正澄さん(2015年)
「強い方が頭を下げないと解決しない。行政が市民あるいは患者、そういう弱い人の立場にすり寄っていく。そのことで物事は解決すると思っています」
市長を退任後も農林業を続けながら、執筆活動や講演を通して水俣病の解決と水俣市の再生を訴え続けました。
近年はがんを患い、自宅で療養していましたが、31日午前8時前、水俣市の病院で亡くなりました。