能登半島地震 KNB記者が珠洲市、輪島市を取材
地震発生から1か月余りがたった石川県能登地方をKNBの記者が取材しました。担当は永井記者です。
甚大な被害を受けた能登では復旧が続いていますが、日々の生活を取り戻すにはほど遠いのが現状です。慣れ親しんだ故郷で暮らし続けられるのか、葛藤を抱える人々の姿を追いました。
私が能登へ向かったのは2月上旬でした。まず取材したのは2023年5月にも地震で被害があった珠洲市です。
永井聖志郎記者
「珠洲市の正院地区なんですが、去年5月の地震の時にも私はここに来たんですけど、その時は全壊した建物は一部だったんですね。ただ今回はあのように崩れ落ちてしまっている住宅がほとんどですね」
珠洲市では正院地区など3地区で7割以上の建物が応急危険度判定で「危険」とされました。建物の下敷きになった人も多く珠洲市だけで死者は100人以上にのぼります。
竹本栄一さんは珠洲市の自宅で1人暮らしでした。地震の際は間一髪で逃げ出し、金沢市などに避難していて珠洲に戻って来たのは1か月ぶりです。
竹本栄一さん(85)
「こんなんなったらどうにもならん」
大工だった竹本さんは、60年ほど前に自分で家を建てたといいます。
竹本さん
「20代やったと思うけど…」
永井記者
「20代のときに自分で(建てた)?」
竹本さん
「自分と自分の親父と(建てた)」
永井記者
「お父さんと一緒に頑張って建てた家が…」
竹本さん
「これや…」
地震の爪痕の大きさを見せつけられました。
また、輪島市では朝市が開かれる観光名所が大規模火災で焼失。朝市で30年以上にわたって塩辛や干物などを販売していた女性に案内してもらいました。
永井記者
「ここはどういう店が並んでた一角ですか?」
南谷良枝さん
「ここは輪島塗の老舗のお宅でした」
1か月以上が経ってもあたりには焦げ臭いにおいが漂っていました。
南谷良枝さん
「『うそやろ』と思いました。まさかここがそういうことになるとは思ってなかったし、信じられなかったですし、今も信じられない。夢を見ているような感じがします」
南谷さんと交流がある朝市の関係者の中には、現在も安否確認が取れない人がいるということです。
南谷さんの加工場も地震の影響で使えない状況で今後は拠点を富山県内に移して再起を図ろうとしています。
南谷良枝さん
「中学時代の友達が、砺波でベニズワイガニの加工場を半年くらい前に作りまして、そこの使わない時間とか借りて、まずは待ってくださるお客様に全国発送を始めようかなと思っています」
そして、いつか「輪島の朝市」を取り戻したいと話します。
南谷良枝さん
「また昔みたいに笑顔で、みんながわいわいと賑わう朝市に、私たちが頑張って復興することでその方たち(犠牲者)の気持ちが落ち着いたらなと思っています」
地震から1か月余り。珠洲市などでは仮設住宅が建ち始めました。入居者の中には自宅が全壊した竹本さんの姿もありました。
竹本栄一さん
「冷蔵庫あるし、流しあるし、風呂場もあると…結構ええの」
永井記者
「避難所と比べてどうですか?」
竹本さん
「いいですよ!」
被災地では断水が続いていますが、仮設住宅には給水があるうえ浄化槽が設けられていて、トイレや浴室などで水が使えます。
入居する親子
「これ電気かな(電気つける)、暖かい、もう入っただけで暖かい。今まで全然水も出ないから、(ここは)お湯が出るからね」
珠洲市では仮設住宅の入居申し込みがおよそ1800件ありますが、着工されているのは、456戸に留まっています。また、利用できるのは最大2年間で、その後の住まいについては見通しがたっていない被災者が多いのが現状です。
永井記者
「2年経ったあとも珠洲に住みたいですか?」
竹本栄一さん
「どうなるか分からん。今のところは(余韻も)」
愛する故郷で今後生活できるのか被災者の葛藤は続きます。
仮設住宅に入居できる期限が2年間というのは被災者にとって不安ですね。
どの入居者も2年後、どこに住むか見通しは立っていません。また、地震を受けて「能登に住むのが怖い」と話す人もいて、心を痛めました。
すでに石川県外に避難した人もいますね。
例えば、自治体を通じて富山県内のホテルや旅館に2次避難しているのは319人で、自主避難を含めるとさらに多いと見られます。こうした人々の支援に富山の行政がどう取り組むか、取材を続けたいと思います。
今回の地震は能登に限らず富山県内にも大きな影響をもたらしました。能登での取材を通して、ライフラインの防災など今後の取り組みを考えていきたいと強く感じました。