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特集 元日の地震から2か月 奥能登の避難所は今も…

2024年3月8日 18:45
特集 元日の地震から2か月 奥能登の避難所は今も…
能登半島地震の発生から2か月あまり。
奥能登の避難所で運営や支援にあたる人たちを取材しました。

輪島市門前町の浦上公民館。
こちらの映像は、地震発生から1週間後1月8日の様子です。
市の指定避難所として停電や断水の影響を受けながらもこの時、120人ほどが身を寄せていました。

浦上公民館 喜田 充 館長:
「こんな狭い空間の中でじっと1週間もいたらね、やっぱり少しいろんな面で精神的にも肉体的にも、だんだん参ってる方がいる」

地震発生から1週間の時点でも避難してきた人たちの負担は相当なものでした。

あれからおよそ2か月。
再び浦上公民館を訪れると、今もなお、避難所となっていて、50人あまりがとどまっていました。

避難者:
「避難所あったおかげで助かっています」

避難者の8割以上が65歳以上の高齢者。
介護が必要な人や飲み込む力が弱く、食事で喉を詰まらせてしまうおそれがある人もいます。
そうした避難者の対応も現状、館長や職員たちの役割となっています。

喜田 充 館長:
「食べやすいような食事が何かあるとかというようなお話をされたと聞いとるもので、もしよかったらですね、それをちょっと(避難者に)提供できないかなと思いまして」

この避難所で提供した食事については、元日からノートに記録していました。
「(最初は)1回はカップ麺とかそういうものが出てますからね。 こういう風に」
その後、物資が届くようになり、避難者に提供される食事は日に日に改善されています。

調理場の女性:
「栄養考えて、あるもの有効利用しようとか、(メニューに)変化をつけようとか。おいしいものを食べてもらおうと」
それでも避難してきている人はここで暮らし続けることを望んでいるわけではありません。

避難者:
「仮設(住宅)でも入られればいいかなと思うけど、それも難しいみたいなこと言うとるし」
「ここやとね咳が出たりするとみんなに迷惑なもんで」
「やっぱりある程度人にも気兼ねしないといけない」

奥能登を中心に被災した自治体ではそれぞれ、仮設住宅の建設が進んでいますが、入居を希望する人の数に対して、まったく足りていないのが現状です。

喜田 充 館長:
「仮設に入ってしばらく生活した後に、その先今度はどうするかってまた悩みの種だと思いますが、自宅を再建してどうのこうのって、そんな馬力はもうないです」

一方、こちらも輪島市の避難所となっている河原田公民館。
元日の地震の前まで市内の介護施設に勤めていた正角 康貴さんです。

正角 康貴さん:
「やっぱり若い人たちが、復興するためには動かないとだめだと思ってます」

職場が被災し、仕事ができない中、ボランティアとして避難所の運営を支えていますが…

正角さん:
「下が今(小学)6年生で、上が中学校3年生の双子なんですよ」

正角さんは両親や祖母も含め8人家族ですが、中学生の子ども2人は白山市へ集団避難。
妻は能登町での介護の仕事があり、離れ離れの生活です。
今は次女の寧音さんと避難所で寝泊まりをしています。

正角さん:
「6年生になったらおしゃればっかり気にかけてね。 勉強が頭の中に入ってないですよね」

この日、寧音さんの同級生が2次避難所から戻り、ようやく一緒に登校できるようになりました。
以前のような暮らしが戻ってきたかのように見えますが、

自宅は、基礎がずれた状態で住めるような状況ではなく、先行きが見通せません。

正角さん:
「大体家族みんなで夜ご飯を食べとったんで、わいわいがやがやとしてまして」

もう一度、この家で家族そろって暮らしたい。
しかし、その願いはたやすいものではありません。

正角さん:
「80まで生きるとしてもまだ40年。今の家を直して40年住む間にでかい余震が来て、また(基礎が)ずれたらまた直さないとだめやし」

元日の地震発生から2か月あまり。

仮設住宅への入居が進まないほか、住宅再建のめども立たず、避難生活はさらに長期化の様相を見せています。

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