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Q旧防災対策庁舎、この先の構想は?南三陸町長に聞く「3月11日は、自分の原点にかえる思いで…」

2025年3月11日 22:30
Q旧防災対策庁舎、この先の構想は?南三陸町長に聞く「3月11日は、自分の原点にかえる思いで…」

震災から14年。
宮城・南三陸町の震災復興祈念公園から、中継でお伝えします(11日午後6時20分頃放送)。
南三陸町の佐藤仁町長に、話を聞きます。

柳瀬キャスター)14回目の3月11日、どんな思いで迎えましたか?

佐藤町長)
3月11日は、自分の原点にかえる思いで、迎えます。あの日に、自分がどういう経験をしたのか?あの日に、どんなものを見たのか?もう1回頭の中で考えるそういう日です。

白壁アナウンサー)
後ろに見える防災対策庁舎に、暗くなった今も灯りが灯っているが、10日から始まったということですが、なぜでしょうか?

佐藤町長)
2年前の震災12年に、灯ろう流しが始まって、御霊が帰ってくる場所ができたと思いました。
一方、こちら(防災対策庁舎)を見たら、暗闇の中で取り残されたような感じに見えたので、何とか御霊が帰ってこれるように、あかりを付けました。

白壁アナ)この旧防災対策庁舎は、去年、震災遺構として保存することが決まりましたが、ここに来るまでには紆余曲折がありました。

柳瀬キャスター)町長は、庁舎に対する住民の受け止めはこの14年で変わったと思いますか?

佐藤町長)最初は、いろんな思いがあったと思います。未だにそうだと思いますが、しかしながら、ここに祈念公園が完成しました。祈念公園が完成すると、たくさんの町民のみなさんがこの防災対策庁舎の周りで草を取ったり、植栽をしたり、そういう姿が年々増えていったのを見て、この防災対策庁舎に対する向き合い方がみなさん変わってきたなというのを私、肌で実感してきました。

白壁アナ)この場所を、「未来の命を守る場所にしてほしい」というのは住民共通の思いかと。
佐藤町長に是非お聞きしたいのは、庁舎をどう生かしたいと思っていますか?

佐藤町長)この庁舎単体ではなくて、2年前に南三陸3.11メモリアルというのが完成しました。そこは伝承とか、感謝とか防災を学ぶという施設になりました。そこで、いろんな勉強をしていただいてから、旧防災対策庁舎に来てもらって、こんな津波が本当に来たんだということを目の当たりにする。いろんな場所を見てもらって、自分の防災の思いをしっかりと持ち続けてほしいなと思います。

柳瀬アナ)今後、具体的な構想はありますか?

佐藤町長)この場所はこの町の未来の命を守りたいという場所。そういう意味で、町の子どもたちや障がいのある子どもたちを含めて、たくさんの方々に来て、ここで防災学習の場として活用していただければ大変ありがたい。それが防災対策庁舎を残した大きな意味があります。

柳瀬アナ)14年の歳月が、住民の傷を癒したわけではなくてそれぞれがもがいて、折り合いをつけて、どうにか保存を受け入れたのが現状だと思う。ご遺族の方々の14年を踏まえれば、この庁舎を活かしていく責任というのはとてもとても重いと思うが。

佐藤町長)このいろんな思いがありながらも、町有化として未来に向かって責任を持って保存するということが、どういうことなのかということを我々も含めて町民の方にもしっかりとお伝えしながら、管理・保存をしていかなければならないと思う。

そうした住民の14年を踏まえれば、庁舎をどう生かすかという責任は極めて重いと感じる。

最終更新日:2025年3月11日 22:30