震災遺構 時を経て向き合う課題 維持費用に年間2500万円 #知り続ける
■維持費用に課題 山元町の震災遺構 中浜小学校
山元町の震災遺構・中浜小学校です。
語り部)津波の高さ10.2メートルです
子ども)10.2メートル?
中浜小学校では、子どもたちが避難した屋上の倉庫を当時のまま保存するなどして、津波の恐ろしさや避難の教訓を伝えています。
語り部の話を聞いた児童
「屋上で一晩過ごしていたことが、食べ物とか飲み物もないのに一晩過ごしたのがすごいと思った」
「水とか自分のできる範囲をやって、声がけとか助け合いをした方がいいと思いました」
語り部・窪田恵美さん
「みなさん、ユーチューブで見ましたというけれど、実際ここに来て避難した場所をみると、感じるものは違うので実際自分の目で見ていただければ」
昨年度およそ2万人が訪れた中浜小学校ですが、訪れる人はコロナ下を経て減少傾向にあり、入館料の収入は年間850万円。
一方、震災遺構の維持と運営には年間2500万円かかり、山元町にとって課題となっています。
津波で児童・教職員84人が犠牲となった石巻市の震災遺構・大川小学校。
大川伝承の会 鈴木典行さん)きれいな顔してたんです。ほっぺ叩けば起きるんじゃないか。ほっぺ叩きながら大声出したんですけど、目を開けることはない。残酷としか言いようがない、言葉にならない、当時のことは。子どもたちが土の中から出てくる。それを抱き上げて抱きしめて子どもたちを並べなければいけない」
遺族らによる語り部活動が続けられる一方、校舎の経年劣化は進んでいて、2024年12月には外壁のタイルの一部が崩れてしまいました。
石巻市は「ありのままで保存する」として、大規模な補修は行わない方針です。
この方針について、遺族の一人はー。
大川伝承の会 佐藤敏郎さん
「ありのままを伝えるために手をつけないというのは、ほったらかしにするのではなくありのままを伝えるための残し方、メンテナンスはあると思う。どうすればいいのか、見通しをもってその場しのぎではなく考えていけたら」
震災の教訓を、物言わぬ語り部として伝え続けていく震災遺構。
南三陸町の旧防災対策庁舎では、2024年 町が恒久的な保存を決断しました。
南三陸町役場職員 三浦毅さん)津波が襲来しています。海岸には絶対近づかないでください
3階建て12メートルの庁舎の屋上まで達した津波。
住民に避難を呼びかけた町の職員など43人が、犠牲となりました。
庁舎を巡っては、住民感情への配慮から解体を望む声と震災の生き証人として保存を望むそれぞれの声が町に寄せられました。
遺族の一人 三浦ひろみさんにとって、庁舎は役場職員の夫・毅さんが住民への避難を呼びかけ続けた最後の場所でもありました。
三浦ひろみさん
「まだ見つかってないし、そこにまだ魂だけでもいるんじゃないか、自分でそう思っている。聞いてくれてるかなって。みなさん見たくないとおっしゃるけど、私は毎晩毎日来ています」
旧防災対策庁舎は、時間をかけて住民の理解を得るため一時的に県が所有することになり、去年ようやく町としての保存が決まりました。
震災遺構として保存が決まったことで、犠牲となった職員への追悼の思いを慰霊碑として形にする取組も始まりました。
南三陸町の伝承施設でガイドを務める高橋一清さんは、元職員として慰霊碑の建立を呼びかけた一人です。
あの日、高橋さんは防災対策庁舎から避難所の業務にあたるため、高台に向かい九死に一生を得ました。
高橋一清さん
「避難所運営の仕事に行けと言われ、私は生きる。数分の差でここに残った仲間たちはみんな犠牲になる」
「いろんな人の心情を考えるとなかなか・・・難しかった。10年というのは一つのステージが変わる時期」
そして、9日には役場の敷地内に職員の慰霊碑が完成しました。
震災後に生まれた孫と参加した遺族の三浦ひろみさん。
夫・毅さんの名前も慰霊碑に刻まれました。
避難を呼びかけ犠牲となったあなたのことは、決して忘れない。
三浦ひろみさん
「一日も忘れたことはない、殉職したみなさん。今後の職員の方にも命を大切にして町民を守っていただきたい。心のよりどころが防災対策庁舎もそうだけどひとつ増えたなという気がします」
住民にとって過去と現在をつなげる場所として。
避難の教訓を学ぶ場所として。
維持費用などの課題と向き合いながら、震災遺構はこの場所で伝え続けます。