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解体か保存か、震災遺構…大切な人を失ったこの場所に遺族がいま思うこと#知り続ける

2025年3月11日 20:00
解体か保存か、震災遺構…大切な人を失ったこの場所に遺族がいま思うこと#知り続ける

南三陸町 佐藤仁町長(2011年3月14日)
「なんとか我々だけでも生き延びようと、みんなで励ましあいながら」

宮城県・南三陸町。
最後まで避難呼びかけた町の職員などがいた防災対策庁舎では、3階建ての屋上をはるかに超える波が押し寄せ、43人が犠牲となりました。

「私は今でもあの防災庁舎には行けない」

南三陸町歌津の千葉みよ子さん。
町の職員だった娘の夫も庁舎で津波の犠牲となりました。

千葉みよ子さん(78)
「私は今でもあの防災庁舎には行けない。テレビに映ったんですよ。職員が手を組んで流される瞬間。真ん中にお年寄りや女性を守ってたのを見て、それからもうダメなんですよ」

庁舎を震災遺構として「保存」するのか遺族に配慮して「解体」するのか。
様々な立場からの意見が飛び交う中、町は2年後に解体を決めました。

南三陸町 佐藤仁町長(2013年9月16日)
「最終的には苦渋の決断になりますが、結論として解体をせざるをえない」

しかしその1年半後、判断するには時間が必要だとして県は2031年までの結論の先送りを提案。
解体はとりやめとなりました。

千葉さんは当時、解体と保存で二転三転する方針に戸惑いを感じていました。

千葉みよ子さん(78)
「(解体するから)これが最後だってみんなで涙を流して。ここで娘息子家族を亡くしたって手を取り合って、『あぁ最後だ最後だ』って、みんなでそこでお別れをしたのね。そしたらなぜか突然に、県の方で持つから保存するとなったわけなんですよね」

そして去年、7年の猶予を残して震災遺構としての町有化が始まりました。
遺族の思いを背負う千葉さんがいま、思うことは…

千葉みよ子さん(78)
「日本のみならず全国から来て、こういう状況だったというのを知ってもらってその恐ろしさを今後の震災の体験(教訓)にしてもらえれば。残すんであればね」

夫を亡くし、女手一つで育てた14年…“息子の一言で変わった”

こちらの女性も町の職員だった夫を防災対策庁舎で亡くしました。
震災以降、女手一つで3人の子を育てあげた髙橋さんにとって、14年間は精一杯の日々でした。

Q庁舎を見ないで生活することはできた?
髙橋吏佳さん(52)
「できないんですよ。私は必ず庁舎を通って仕事に行かなくてはいけないから辛くても視界に入ってくるし」

しかし髙橋さんは5年前、小学生から大学生に成長した息子の一言で気持ちが大きく変わったといいます。

髙橋吏佳さん(52)
「3月11日を『自分たちの夢を語れるような日にしたい』という話を息子にされたとき、自分が今までもやもやしていたものがちょっと違うかなとか見方を変えると気持ちは変わるんだなとか」

いまでは旧防災対策庁舎のまわりに町民が集うきっかけづくりとして髙橋さんが働く社会福祉協議会がリーダーシップをとり、町民のボランティアが公園の草刈りや植栽活動を行っています。

髙橋吏佳さん(52)
「残す、残さないという二つの選択肢の中から保存が決まって町の所有になってそうなれば町の責任と覚悟とそこに町民はついていくし、しっかりこれからに繋げてほしいと願います」

最終更新日:2025年3月12日 18:21