【ここで暮らす、石巻で暮らす、石巻の人達と手をつないで…】一度離れたふるさとに戻る決断した男性 「東日本大震災」で行方不明となった母親はいまも見つからないー(宮城)
「東日本大震災」で行方不明となった母親はいまも見つからないなか、生まれ育った宮城・石巻を元気にしたいと、新たな一歩を踏み出した。
「乾杯 おつかれさまです」
石巻市でバーを経営する八島慎治さん(57)。
3年前にオープンしたこの店のカウンターでは、地元客を中心に肩を寄せ合い、“新たな出会い“や“再会の場”としても親しまれている。
八島慎治さん
「石巻の人と、震災のこととかこれからのこと、石巻のことを語れたらいいな、というところです」
もともと、石巻市門脇・南浜地区で生まれ育った八島さん。
高校卒業を機にふるさとを離れ、東京で生活を送っていたがー。
八島慎治さん
「あの日は、僕は東京にいて、どうにかこうにか3日後の3月14日に石巻にたどり着いて」
「東日本大震災」がふるさとを一変させた。
実家は津波に飲まれ、当時一人暮らしをしていた母親の美代子さんは13年経ったいまも行方不明だ。
震災から13年。
3月11日、八島さんは実家があった場所で祈りを捧げた。
“ここに来れば会える”あの日まで、母親が1人で住んでいた実家だ。
八島慎治さん
「3・11の時には毎年必ずここで手を合わせる、最後にここにいたということだけはわかっているので、ここで手を合わせ続けてきた、これはずっと続くんでしょうね」
八島さんは、去年 東京に家族を残し、石巻で1人暮らしを始めた。
八島慎治さん
「なにか町の再生の手助けができたらなと。店はその方法の1つであって、3年やって自分なりにも達成感があるので、今度は違う形をとりたい」
週末限定、東京から"通いで"続けたバーに区切りをつけ、腰を据えてふるさとの再生に取り組もうと考えている。
八島慎治さん
「ここで暮らす、石巻で暮らす、石巻の人達と手をつないで。13年経ったけど、まだまだやるべきことはいっぱいあるのでその仲間に加わりたい」
“もう一度、元気な石巻に"
生まれ育った場所で、八島さんは新たな一歩を踏み出そうとしている。