【そもそも.】仙台藩主『伊達政宗』とはー?
仙台の人にとってはなじみ深い『伊達政宗』について、仙台市内で改めて聞いてみた。
東京から来た親子「(Q宮城といえば?)伊達政宗」
仙台市民「(Qどんなイメージがある?)やっぱり仙台の街の基礎を作った人」
東京から来た親子「大河ドラマ?渡辺謙?(のイメージ)
仙台市民「(仙台城跡は)憩いの場ではありますよね。(Q他県から来た人を案内する?)ここ(仙台城跡)です!」
やはり、仙台と言えば『伊達政宗』。
その歴史を、改めて振り返る。
歴史学が専門で、東北大学名誉教授の平川新さんに聞いた。
『伊達政宗』は、1567年に米沢 現在の山形県に生まれた。
18歳の若さで伊達家の当主に。今でいう県知事に就任する。
1601年からは、仙台城の築城と仙台城下の整備を開始。
大名の〝格〟を示す、いわゆる領地高は仙台藩で62万石。
この62万石は、全国の大名をランキングにすると何番目ぐらいに入るかといえばー。
正解は、全国で3番目。加賀藩の前田家、薩摩藩の島津家に次ぐ立場だった。
これだけ、実力があったということ。
さらに、『伊達政宗』にはこんな一面もあったと平川さんが教えてくれた。
実は、「筆まめ」だったそうだ。
現在見つかっている手紙は、徳川家康が2~30通なのに対し、政宗の書いたものは1000通以上。
これは手紙の量が単純に多かっただけでなく、もらった家臣などが家宝として大切にしていたからこそこれだけ残っているのだという。
周りの人への気配りがあった人だと見られている。
一方、自分で料理を作るグルメ男子だったという一面もあったらしい。
なかには、今の時代にもその〝ゆかり〟が残っているものがあるそうで、たとえば『はらこめし』。
亘理町観光協会によると、政宗が亘理地方に行った際 地元住民が献上。
気に入った政宗が、家臣などに広めたと伝えられている。
また、『仙台みそ』。
政宗が、城下に作った御塩噌蔵というみそ工場が始まりともいわれている。
おせちの定番『伊達巻』。
大阪の製造会社「せんにち」によると、名前の由来は、オシャレなどを表す「伊達」な卵焼きの説や、着物の着付けで使う〝伊達巻〟から来ている説など、諸説あると言うが、政宗公が卵焼きが好きだったという説から、「せんにち」が政宗の命日つまり5月24日を『伊達巻の日』として登録している。
数多くの功績を残した背景に、周りの人への配慮。
『伊達政宗』は「戦国時代から愛されるまさに理想の上司」だと、感じた。
仙台の礎を築いた『伊達政宗』を、改めて学ぶ機会があってもいいかもしれない。