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「ママは事故で死んだ」祖母と2人暮らしの男児、実は育児放棄で…ルポ・繁華街の24時間保育園 #令和の親 #令和の子

2023年10月14日 18:01
「ママは事故で死んだ」祖母と2人暮らしの男児、実は育児放棄で…ルポ・繁華街の24時間保育園 #令和の親 #令和の子
見送る塩見園長(左)

「よく寝てますよ。お母さんもお仕事お疲れ様」。

仕事帰りに保育園へお迎えに来た母親は疲れ切った表情。寝たままの我が子を保育士から受け取ると、母親の表情に笑顔が戻る。「良い子にしてた?帰ろうね」。どこにでもあるような保育園のお迎えの様子だが、1つだけ“普通の保育園”とは違う点がある。

時刻は、深夜2時を回っていた。

愛媛県松山市の繁華街近くに24時間営業(現在は時短営業中)の「ひだまり保育園」がある。開園10年を迎えるひだまり保育園の“売り”は夜間保育。立地上、飲食店や夜の接待を伴う店で働く「夜職」の人、さらに当直勤務などがある医療・介護関係の親が子どもを預けるケースが多い。松山市で土日も夜間も24時間で子どもを預かる施設は、ここ以外に見当たらない。

「『夜に預けられる子どもがかわいそう』なんてよく言われますよ。お母さんたちは遊んでいるわけではないのに、どうしても夜に仕事をすることは“悪”とみなされるんでしょうね」と話す塩見洋三園長(57)

かつて関西の繁華街で飲食店を経営していた時、夜間に預かる託児所がなく「孤独な」母親や子どもを多く見てきたという。その経験から地元・愛媛で24時間営業の保育園を開園した。

髭とオールバックがトレードマークの“コワモテ”塩見園長の口癖は「うちは特別なことはしていない」。

「いろんな親、いろんな子どもがうちにはいますよ。でも、世間の人が目を背けているだけで、これが普通です。これがこの社会の親であり、子どもたちです」

(南海放送報道部・植田竜一)

※本記事に登場する保護者と子どもの氏名は仮名です。

「ママは事故で死んだ」

その男の子とひだまり保育園の出会いは5年前にさかのぼる。

はじめくん当時1歳は、毎日決まって夜7時頃にいわゆる「夜職」の母親に連れられて登園。深夜3時頃、夢の中の状態で迎えに来た母親とともに帰って行く子だった。

「おはようございます。はじめの祖母です。お願いします」

数年たったある日。はじめくんは母親ではなく、祖母に連れられて毎朝登園するようになった。夜の保育はやめて、夕方には帰宅する生活に。それからしばらく経っても母親はひだまり保育園に来ることはなくなった。

温和な丸顔ではじける笑顔が特徴的なはじめくん。ある日の昼下がり、聞いたわけでもないのに塩見園長に突然打ち明けたという。

「僕のママは事故で死んだんだ。だから…おばあちゃんと住んでる」

重ねた嘘の先に

「ママがね作ってくれてね」「いっしょにママと行ってね」。

保育園で友達同士が自らの母親について話をするときも、はじめくんは悲しい顔を一切見せなかった。それどころか「僕のママは今海外で働いてるんだ」と誇らしげな顔で嘘をついていたという。

遠い目をしながら塩見園長は当時を振り返る。

「まあ…何もかも嘘だったんですけどね」

はじめくんの祖母が言うには、母親は事故で死んだのではなく、事故で死んだ「ことにしている」という。

夜の街で働いていたはじめくんの母親、つまり祖母から見て実の娘は、夫のほかに「好きな人ができて」離婚。父親も別の女性と一緒になり、はじめくんの親権を放棄。まだ小さかったはじめくんは両親から育児放棄された状態に。そして、唯一の身寄りだった祖母に引き取られた。

当初は祖母も「ママは外国に仕事へ行った」とはじめくんに嘘の説明をしていたが、もう母親がはじめくんのもとに戻ることはないと分かってから「事故で死んだ」と言い聞かせているという。
 
現在、はじめくんはひだまり保育園に通っていない。

保育園を「はしご」する子ども

トレードマークだった金髪が、黒髪になっていた。

日付が変わる頃、1歳の一人息子をお迎えに来た女性。愛媛県の南部に住むシングルマザーの河野麻衣さんは車で1時間以上かけて、松山市のひだまり保育園に毎日子どもを預けている。

河野さんの本業は、松山市の繁華街で接待を伴う飲食業。かつては地元である愛媛県南部にある市で同じような「夜職」をしていた。

しかし、コミュニティのつながりがまだまだ残る愛媛県の南部。かつての客との間に子どもができてから、河野さんは地元の夜職を辞めて松山での夜職に移った。「ママ友の目もあり、すぐに噂になるので地元で働き続けることができなくなったんです。だから地元には住んでますけど働くのは松山で」。

実は、数日前から河野さんは昼間、地元で電話オペレーションの仕事を始めたという。金髪から黒髪に染めたのはそのためだった。

日中は息子を地元の保育園に預け、夜は松山市のひだまり保育園に預ける。河野さんが完全に昼職で食べていけるようになるまで、息子は園を“はしご”する日々だ。

「いつまでも夜職はできないですから」

「夜から逃れられない」

それからしばらくすると、河野さんはひだまり保育園に息子を預けに来なくなった。夜職をしなくていいくらい、昼職が順調になったということなのだろうか。

塩見園長は少し笑みを浮かべて、首を横に振る。かつて自らが夜の店を営んできた経験からも「そんなに甘くない」と言う。

「コロナ禍で夜職が安定しない職業だと分かったでしょ。だから昼職への転職を目指すお母さんたちはたくさんいます。『私これから昼職になるので預けに来なくなります』という感じでね。でもね、結局“夜”に戻ってくる、うちに戻ってくるパターンが多いです。しかも、名字も変わってたり、違うお父さんとの間に子どもが生まれてたり…。『自分の存在価値はやっぱり夜だった』『月払いの給料まで待てない』とかみたいで。なかなか夜から逃れられないんです。本人がそういう性格なのかもしれないですけど、そもそも夜職の経験者をはじき出す、そういう社会なのかもしれないですよね」。

それから数日経ったある日の午後8時前。久しぶりにひだまり保育園に河野さんが息子を連れてやってきた。河野さんの黒髪は、金髪に戻っていた。

ひだまり保育園の流儀

はじめくんがひだまり保育園に来なくなった時も、河野さんが再び子どもを預けに来た時も、塩見園長はその理由を一切問わない。託児の理由を聞かないことは「開園以来、唯一守ってきた自分の中でのルール」だという。

開園から10年。ひだまり保育園を訪れる親も子も、同じ事情を抱えた人は2人としていない。

コロナ前に24時間営業していた時には、月曜日に子どもを預けたと思ったら1週間放置、「旅行に行ってました」と日曜日の夜に迎えに来た親もいた。わずか3年の間に5回結婚して名字が「変わりまくった」お母さんもいた。両親が離婚し、県外に住むお父さんを探して脱走した男の子もいた。夫婦共働きのお母さんが「この子が夜騒いで寝れないので、夜だけ預かってくれませんか?」と泣きながら駆け込んできたこともあった。子どもを児童養護施設に送り届けたケースも数えきれない。

「夜に子どもを預けることに後ろめたい気持ちでいる人もいる。生きるために仕方なく夜働いている人もいる。そんな時に、もし私が『なんで突然預けるんですか?』『なぜ来なくなるんですか?』と聞いたら、さらに預けにくくなるでしょ。そうなったら子どもたちはどこで夜を過ごすんですか?独りぼっちで暗い家にいろと言うんですか?」

お父さんとお母さんには気にせず、生きるために昼でも夜でも好きな時に働いてもらいたい。その代わり、子どものことは必ず責任を持って見る。塩見園長が笑いながら口癖を繰り返す。

「いろんな親や子がうちにはいます。自分のことを“普通”と思っている世間の人からしたら特別に見えるでしょうけど、私にとってはこれが“普通”です。これが現代の社会であり、親であり、子どもたちです」


この記事は、南海放送報道部とYahoo!ニュースの共同連携企画です。