リニア新幹線のシステム開発者が“老舗酒造の蔵元”に転身!「暖簾を守るな、暖簾を破れ」温泉地・道後に新しい風を
日本最古の温泉の一つ、愛媛県松山市の道後温泉。そのシンボルである道後温泉本館から歩いて5分ほどの場所に「水口酒造」があります。明治28年創業当時、大衆浴場として栄えた本館の湯治客に酒を提供したことに始まり、以来120年以上にわたって、道後地区唯一の造り酒屋として歩み続けています。
6代目蔵元の水口皓介(みなくちこうすけ)さん(36)は道後のまちで生まれ育ちました。しかし、2019年に愛媛に戻るまで、酒蔵を継ぐつもりは全くなかったといいます。
水口さん:
「親から家業を継ぐようと言われることも無かったし、自営業は不安定だと思っていました。安定志向だった私は、企業に勤めて何か大きな仕事がしたいと思ったんです」
立教大学の理学部物理学科への進学を機に上京した水口さん。物理の知識を活かせる仕事として選んだのは、JR東海が開業をめざす「リニア中央新幹線」に関わるものでした。
JR東海情報システムに入社し、新幹線の発車時刻などを知らせるモニターのシステム作りを担当。その後、「リニア中央新幹線」のシステム開発に6年間携わりました。
最高速度は時速500キロ。無人運転のため、すべてシステムに基づいて走らせるというリニア。水口さんは、リニア運行の根幹を司る運行管理システムを担当しました。
そんな水口さんが家業を継ぐきっかけとなったのが、趣味でよく行っていたという海外旅行。行く先々で、実家が酒蔵であることやお酒の造り方に興味を持たれることに驚いたといいます。
「海外の方に聞かれて、僕自身、どうやってお酒を造るのかも知らないんだと気が付きました。元々、体質的にお酒が飲めず馴染みが無かったため、一からお酒や家業のことを調べるうちに、うちでは結構すごいことをやっているんだと初めて知りました」
家業の魅力に気づき、継ぐことを決意した水口さん。2019年に会社を辞めて道後のまちに戻ってきました。日々、日本酒をはじめ、地ビールやリキュールなどを製造しています。
コロナ禍で売り上げ8割減に…はじめた新たな挑戦
しかし、水口さんが蔵元としてはじめて造ったお酒が完成した直後にコロナに見舞われました。道後はシャッター街となり、約8割の商品を道後に卸している酒造の売り上げは85%減に。
さらに、今後もお酒を飲む人は減っていくだろうという危機感を募らせていた水口さんは新たに、ヨーロッパやアジア圏を中心にした“海外への輸出”に乗り出しました。
現地の百貨店に赴き、自ら一般客へのお酒のPR販売を行っています。その成果もあり、イギリス、フランス、シンガポールへの輸出を開始したこの1年間で、海外からは、高価格帯商品を中心に3000本以上のネット注文があったといいます。
水口さん:
「僕らが海外に出ていくことで一人でも多くの人に道後を知ってほしいなと思っています。一人でも良いから道後に興味を持って、また飲みに来てくれるという流れを生み出せたら。今までは道後温泉が観光客を呼んでくれていたけど、今度は僕たちの商品を目的に来てくれるお客さんが道後に来てくれて、温泉もあるんだなと。そんな流れができたら一番理想的ですね」
“人と人のコミュニケーションが生み出す力”で道後に恩返しを
酒造りやプロジェクトを円滑に進めるために重要なのが、スタッフや他企業との密な連携。水口さんは、この企画力やコミュニケーション力は、システムエンジニア時代に養われたといいます。
「僕が担っていたシステムエンジニアの上流工程というのは、予算やスケジュールの管理から、どういうシステムを作るのかという全体像をまとめるプロジェクトマネジャーの役割でした。様々な人たちとやりとりをしながら、一つのものを作っていく。実は、今の商品開発とやっていることとあまり変わりないんです」
水口家には代々伝わる『暖簾を守るな、暖簾を破れ』という家訓があります。この教えを胸に、新しいことにはどんどん挑戦したいと意気込む水口さんが、今力を入れているのが、“人と人を繋ぐこと”。
「地域に根ざしているということを忘れてはいけない」と、今まで弱かったという地元とのつながりを強め、観光客に限らず、地域の人たちが普段から気軽に立ち寄れる道後を目指しています。
酒蔵の隣では、元々和食レストランだった「にきたつ庵」を改装。
2022年10月、カフェバーと、県内のクリエイターたちが作った雑貨やアクセサリーなどを体験できる「ショールーミングストア」が一体となった店舗『道後一会(どうごいちえ)』をオープンしました。
週末にはキッチンカーなどが出展するマルシェを企画。手すき和紙やクラフトジンなどをつくるワークショップのほか、結婚式会場として利用してもらうなど、賑わい創出に一役買っています。
水口さん:
「かつて日本酒の酒蔵は人が集まるところでした。米農家や問屋さんなども出入りして、地域のハブのような役割が大きかったのです。それを現代風に置き換えたいなと。うちのお酒は、“観光客向け”というイメージが強いと思うので、“地酒”にこだわり、いかに地元の人とのつながりを作っていくかを試行錯誤しているところです。地元の人たちにとって、道後は『特別な場所』になりすぎている気がします。おらが町の温泉という割に若者は道後に来ないし、道後温泉には入らないんです。だから、うちをきっかけに来てもらうようになったら道後にも恩返しになると思っています」
(取材・文 / 津野紗也佳)