止まなかった“逆風”…四国唯一の「不記載議員」と呼ばれて 愛媛2区・井原巧氏(自民)の戦い
「最終日まで走り抜けることができたことに感謝します」
投票日前日の午後8時。愛媛2区に立候補した井原巧氏(自民党・前職)は12日間の戦いを終えて、マイクを納めた。
「(派閥側から)時間がないから、頼むからと言われて修正したら『不記載議員』ということになったので…。正直言うと忸怩たる思いがありますよ。1円でもキックバックもらって、1000円でも使ってたらなんとも思わないですけど。使ってもないし、こちらにお金は入ってもなかったですから」
今回の衆院選に立候補した自民党公認候補の中で、井原氏は四国で唯一の”不記載議員”とされた。
公示前の記者会見で、座右の銘について問われた井原氏は「疾風に勁草(けいそう)を知る」を挙げた。強い風に吹かれたときに、本当に強い草が残るという意味だ。
「逆風に立ち向かい、さらにたくましくなりたい」と誓って挑んだ選挙戦だった。
(南海放送衆院選取材班)
「派閥への恩返しの気持ちだった」
2019年、井原氏は参議院議員を辞め衆議院議員選挙への出馬を決めた。その後、約2年の“浪人期間”を経て2021年の衆院選で愛媛3区(当時)で初当選した。
旧安倍派に所属し、派閥のパーティー券をノルマより168万円多く売り上げたのは2022年だった。
「2年間の浪人期間、派閥から物心両面で支援をいただきました。もちろん“表のお金”ですけど、お金もいただきました。スタッフのみんなが頑張ってパーティー券を売って、『この2年間の浪人期間でいただいたお金くらいはオーバーしてちゃんと派閥に返そう』と。そういう気持ちだった」(井原氏)
“裏金問題”が表面化した今年、168万円の「不記載議員」の対象となった井原氏は記者会見を開いた。
説明によると、当初から168万円のキックバックを拒否。「受け取ってほしい」と安倍派の事務局に何度も要請するも、断られ続けたという。
席上、井原氏はある紙を取り出した。
「これが通帳のコピーです。ご覧の通り168万円、1円も使わずにそのまま保管していました。これは派閥に受け取ってほしいという思いからです」
演説中に突然ペットボトルが…
「作為的に不記載だった議員と、不作為で不記載となった議員をひとまとめにしないでほしい」と訴え続けてきた井原氏。
しかし、不記載問題が世に出たことを契機に自民党には“逆風”が吹き始めた。これまでも与野党の候補が激戦を繰り広げてきた東予地域。ただでさえ接戦が予想されていた中、有権者は井原氏の釈明・説明に納得せず厳しい目を向け始めた。
選挙前、慣れ親しんだ地で街頭演説を行っていた井原氏。
ある人は通り過ぎながら耳をふさぐ仕草をした。また、ある人は親指を下に向けた。そしてまたある人は、空のペットボトルを井原氏に向けて投げつけた。
「すごく傷つきました、有権者の皆さんへの説明はなかなか難しいですよね」
こうした中、石破首相は衆議院を解散。選挙戦に突入した。
最後まで覆らなかった劣勢
「井原さんの存在は愛媛県にとっても非常に大きいということは私から申し上げたい」(中村知事)
今治市で開いた決起会には、中村時広県知事や市長・町長らが応援に駆け付けた。また、かねてから永田町で良好な関係を築いていた石破首相も同席した。
「この経験、心から反省しお詫びすると同時に、だからこそしっかり信頼を取り戻すのも我々の責任だと思い、本日この壇上に立たせていただいております」(井原氏“第一声”)
井原氏は前回2021年の衆院選では、相手候補を約4000票差で振り切った。今回の選挙でもその再現を目指して、「相手の背中は見えている」(井原氏)と自民党所属の県議や市議、各市長らとともに総力戦で挑んだ。
結果は、8万56票。当選した白石洋一氏(立憲)とは2万票以上の差が開く大敗だった。
井原氏は比例重複立候補が認められず落選確実に。支援者らに敗戦の弁を述べた。
「私自身は不記載についても適正な会計をしていましたから。もちろん私が所属した派閥の問題ではございますが、その辺のことをしっかり説明するのも難しかった。有権者の皆様方にはなかなかそのことも伝える、伝わることも難しかった。そういう大きな”風”の中に飲み込まれて戦ってきたと思っています」
井原氏に向かい風として吹き続けた”疾風”。最後の最後まで覆すことはできなかった。