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【特集】能登半島地震 記者が見た被災地の石川県珠洲市 若い移住者の力で復興へ 《新潟》

2024年3月31日 19:05
【特集】能登半島地震 記者が見た被災地の石川県珠洲市 若い移住者の力で復興へ 《新潟》
能登半島地震で私たちは日本テレビ系列のNNN取材団の一員として石川県で取材をしています。

私は2月中旬、石川県に入り地震の被害や被災した住民の声を取材してきました。そこで出会ったのは、街の復興へ役に立とうと活動を続ける若い移住者たちでした。

(取材:TeNYテレビ新潟 報道記者 長谷川拓海)

美しい街並みが一変

私たちが向かった先は、能登半島の先端、珠洲市。里山里海に囲まれた珠洲市の美しい町並みは一変。

街の一部は津波に飲み込まれ、倒壊した住宅や、がれきが残されたまま。
元日から時計の針がとまってしまったように感じました。

珠洲市に移住した女性

珠洲市狼煙地区に住む馬場千遥さん(32)です。

馬場千遥さん
「ここのお家に閉じ込められていたんです、1人。これ、完全に潰れちゃっている。地元の人がここから救出しました、このすき間。本当に無事でよかったと思って」

2月19日、当時断水が続く中でも、まちの復興のため珠洲市に残り、自主避難所で生活していました。

奈良県出身の馬場さん。石川県の大学を卒業し、2019年から珠洲市の地域おこし協力隊に。珠洲の街に惹かれ、4年間の任期終了後も働き続けることを決めました。

馬場千遥さん
「地元の人に声をかけてもらえるだけでうれしい。おすそわけをもらったり、地域の行事に呼んでもらったり。日々のつながりですね」

街に残ることを決断

そうした中、珠洲市を襲った地震。地震前、100人ほどが暮らしていた狼煙地区。
街は変わり果て、多くの住民は二次避難のため街を離れました。この時、街に残っていたのは15人ほどでした。

自身も避難生活を送る中、思い返したのは、移住者という”よそ者”の自分を受け入れてくれた住民たちのこと。この街に残ることを決めました。

自主避難所で調理などを担当

馬場さんは、地震発生後から、自主避難所に寝泊りを続け、食事の調理や、救援物資の受け付けを担っています。

馬場千遥さん
「まだ散らかっていたり、水も出ず不便だということで、自主避難所で寝泊りしている人もいるし。私も1人で心細いので一緒にテントを張ってもらって寝ています」

地震が奪い去ったものは、日常だけではありません。

馬場千遥さん
「能登を象徴する、この地域の人たちにとってすごく大事なものなんですけど、それが入っている倉庫もつぶれっちゃってる状態ですね」

地震で奪われた街の伝統

能登地方に江戸時代から伝わる「キリコ祭り」。巨大な燈籠「キリコ」が街を練り歩く街の一大イベントです。

狼煙地区では毎年9月に祭りが行われ、住民たちの誇り、そして心のよりどころでした。

コロナ禍で中止が続き、ことし再起を目指していました。

馬場千遥さん
「やっとできるぞ、となって、矢先のこれなので」

”祭りの象徴”がつぶれる

祭りの象徴であるキリコと神輿。

馬場千遥さん
「もう完全につぶれているなと分かって、諦めてしまって。地域の人たちの心のよりどころみたいなものだと思うので結構ショックですよね」

変わり果てた日常、そして街の誇りも奪われました。

「戻ってきて欲しい」 始めた取り組みとは

馬場さんは地域のために「あること」を始めました。

馬場千遥さん
「二次避難で狼煙地区から出ている人が大多数で。その人達、そして親族の人たちも今の狼煙の様子が気になると思うのでLINEグループを作って」

結成したのは「がんばろう狼煙!」。無料通信アプリのLINE(ライン)で作ったグループで、復興状況やその日の出来事を毎日、発信しています。

数人から始まったグループは今では60人以上に。

馬場千遥さん
「このグループをきっかけに今までLINEをやらなかったおじいちゃんおばあちゃんが、LINE始めたり。結構みんな楽しみに見てくれているみたいです。明るい話題を発信すれば、みんなまた戻って来て、頑張ろうと思ってくれるかなと思って」

珠洲にまた戻ってきてほしい、その思いで発信しています。

馬場千遥さん
「元通りにというのは、なかなか難しいかもしれないけど、今までの狼煙の風景や暮らしが好きで、地元の人も住んでいたと思うので、なるべく戻せる部分は戻したい。さらに若い人が入ってきやすいようにして、若い人たちも活躍できる地域になればいいかなと」

銭湯復活へ  移住者の取り組み

地域の憩いの場・銭湯。

ここにも被災地の力になろうとする移住者がいました。珠洲市で銭湯を運営する北海道出身の新谷健太さん(32)です。長年親しまれてきた銭湯を引き継ごうと、準備を進める最中に地震が起きました。

地震発生から間もない1月中旬。

新谷健太さん
「津波がここまできましたね。建物の中に入ってきて、海水と砂がたまっていました」

地震と津波で被害

津波は銭湯の中にまで押し寄せ、地震で配管や天井にも被害が出ました。

自身も被災する中、当時は断水が続き、入浴ができない住民も少なくありませんでした。
   
新谷健太さん
「珠洲の人たちの命を守りたい。こうなってしまって皆さんストレスを抱えてますし、苦しんでいるので、少しでも安心につなげられたらと思いますし」

被災者のために復活へ

営業の再開に向けて動き出します。使うのは断水の影響を受けない地下水。

窯で温めることで湯を沸かします。

新谷健太さん
「今この瞬間に地震が起きたらどうしようかなと日々不安になります。先行きが見えなかったり、不安な日々を過ごしている市民の方々に少しでも一息ついて、将来のことを考えるような時間になればと思います」

安らぎの場に

地震から19日後、銭湯を再開することができました。

入浴客
「気持ち良かった19日ぶりか。感謝しかないね」
「ニコニコとみんな喜んで入っていました」

取材に訪れた日も営業前から多くの住民の姿が。

地域の住民の安らぎの場となっています。

移住者だからこそできること

新谷健太さん
「この街が好きで、この街の文化や風土に心が引かれたので移住してきました。変わり果ててしまった街の景色や、亡くなられている人もいる中で自分たちが移住者だからこそできること、目の前にやれることがあるので、ひとまずはそれに向けて最後まで珠洲に関わっていきたいという思いがあったので」

移住した自分たちだからこそ、できることがある。

珠洲に惹かれ、移り住んだ若者たちが復興を後押ししています。


2024年3月6日「夕方ワイド新潟一番」放送より