作文につづった障がいがある弟への思い 姉の作文が盛岡市のコンテストで最優秀賞 岩手
岩手県盛岡市で暮らす角舘梨那さん。弟には重い障がいがあります。その弟への思いをつづった作文が、盛岡市のコンテストで最優秀賞に輝きました。11歳の素直な気持ちを見つめます。
私には、七才と五才の弟が二人います。七才の弟には、「難治性てんかん」という病気と「肢体不自由、知的障害」があります。
盛岡市で暮らす角舘梨那さん、小学5年生。梨那さんの2人の弟、秀隼(しゅうと)君と、英隼(えいと)君です。梨那さんには、伝えたい思いがありました。
自分が弟に対してうれしかったこととか、悔しかったことを正直に書いた。
私が、三才の時、弟が産まれました。「私にも弟ができるんだぁ。」と初めて弟ができることがとてもうれしかったのを覚えています。初めて弟ができたのに、二人で遊ぶことができなくてとてもさみしい気持ちでいっぱいでした。でも弟が頑張っているから、私もお姉ちゃんとして寂しい気持ちを我慢して応援しようと決めました。弟とお母さんは何回も病院へ行ったり、また入院へ行ったりする日々が続きました。せっかく弟が産まれたのに、楽しみにしていた毎日とはちがいました。それに、いつまでたっても弟はからだがふにゃふにゃやわらかくて、座れないし、立てないし、歩けないし、話せないし、ずっと赤ちゃんのままでした。私が六才、弟が二才の時一番下の弟が産まれて、病気や障害がなければ三人で走りまわって遊べたのになと思いました。
母のひとみさんです。作文は、これまでの生活を見つめ直す機会となりました。
お家帰って来てからも、1日に何十回って発作があって。その度に、えいとに行って。お姉ちゃんはまだ甘えたい時だったと思いますけども。やっぱり我慢させたし。遠慮もさせたのかなっていう/私が六才、弟が二才の時一番下の弟が産まれて、病気や障害がなければ三人で走りまわって遊べたのになと思いました。弟はいまは支援学校の2年生です。山岸小学校に行きたかったけど、それはできませんでした。去年1度、交流籍で私の学校に来ました。休み時間しか会えなかったけど、弟が学校にいるというだけでその日一日うれしくて落ちつかない気持ちになりました。そして、弟がもしだれかにバカにされていたら、ぜっ対に守ろうという気持ちが強くなりました。
家族で支え合いながら暮らしてきました。
急に泣き出したり、夜ねられなかったり、ごはんを食べられなかったり、まだまだ大変なことが多いです。でも、うれしいこともあります。足首を固定するそう具をつけて、リハビリをがんばっているおかげで、手をつなぐと歩けるようになりました。
1人1人の歩幅はちがうけれど、きょうだいが手をつなぎ、前へと進んでいます。三人で歩いたり、喋ったりすることが、一番やりたいなと思っていて。弟は歩けるようになったから、次は喋ることを目標にして、リハビリとか頑張ってほしいなと思ってる。
梨那さんが書いた作文。最後はこんな文章で締めくくられています。
私が歌ったり、口笛をしたりするとけたけた笑ってくれていっしょにいて楽しいです。わー。わー。えいちゃんきょうお誕生日でーす。(母:おめでとう。何歳?)6でーす。(6でーす)一番下の弟と三人でいっしょに笑っている時が幸せです。弟、いろんなことがあったけど、ありがとうね。これからもよろしくね。