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酪農大家族30年の記録②親子の対立

2025年1月21日 18:48
酪農大家族30年の記録②親子の対立

今月は、火曜日にシリーズで「酪農大家族30年の記録」をお伝えしています。
2回目は成長した子どもたちとお父さんの対立をお伝えします。遠藤記者の取材です。

吉塚家の長女、都さんが晴れの日を迎えました。吉塚農場に実習に来ていた浅野宜雄(のりお)さんと結ばれたのです。

浅野さんは、結婚後田野畑村に住んで吉塚農場で一緒に牛を飼うつもりでした。

浅野さんが新たな戦力に加わって、お父さんは第二の牧場開拓に挑もうと土地探しを始めました。

田野畑村で広い土地が見つかりました。第二牧場ができれば飼う牛は二倍以上になります。

都さんは幼いころの夢を叶えて老人介護の仕事をしていましたがお父さんはその仕事を辞めて家族が一つになって開拓をするよう言いました。

都さん
「公太郎だってここでやるからにはお父さんと一緒に考えてやらなくちゃだめだと思うんだよ、思っていることを言わないことだってあると思うんだよ」
公雄さん
「言わせないんだ」
都さん
「だけどやっぱりお金のことを考えたら生活費まで借金してまた初めからやると思うと」
公雄さん
「それとは全然状況が違うでしょって言うの」
登志子さん
「違うと言ったって人数は多いんだよ恭次、公太、宜さんいくらすぐすぐはさ皆に給料はあげられないでしょ」
公雄さん
「だから俺は銭金じゃないの1円も生まなくたっていいんだよ、そこに向かって努力する自分というものがあればいいんだよ。その思いをお前たちに伝えたいだけだ。俺は恭次にもそう 雄志や純平や壮太にもそうやがて山地酪農家としてその思いを汲んでほしいし、それが将来の日本の畜産を救う唯一の力だと思っているんだよ」

お母さんは更年期障害に苦しんでいました。

四男の雄志さんはお母さんに代わって台所に立つようになりました。

遠藤記者
「お母さん喜んでくれている?」
雄志さん
「はい 結構助かるって言ってくれています」
遠藤記者
「そういわれると嬉しい?」
雄志さん
「はい 嬉しいです」
(遠藤記者)
「雄志君 台所に立つの好き?」
(雄志さん)
「はい、 結構楽しいです」
遠藤記者
「どういうところが?」
雄志さん
「やっぱり料理を覚えたりとかお母さんと同じようなことが出来るようになって嬉しいし、やっぱり あとは美味しいとかそういう言葉もうれしいそれからなんか好きになりました」

こういう経験が後で山地酪農牛乳を支えることに繋がっていきました。

この日いつも農場にいるはずの牛の姿がありませんでした。

乳搾りの時だけしか使わないはずの小屋に牛はいました。

長男の公太郎さんは、牛が寒さで体力を奪われないよう、冬の一定の時間だけ牛舎で休ませることにしたというのです。

公太郎さん
「一頭一頭の牛の様子を見ながら草を与えられるのでこれは大事なことだと思っています。冬の間だけでも やりたいと思っています親父は反対していますけど」

四季を通じて牛を山に放って牛乳を生産すること。お父さんはそのことをお客さんと約束していました。

いつでも放牧することは山地酪農の原則だからです。

公雄さん
「一歩進めて言えばそこまで気に入らないのならばここでやるな一歩進めて言えばお前は自分で山を買って自分の思う酪農をやれと俺はお客さんがいるんだもの」
公太郎さん
「純平が実習を終わって帰ってくるまでに良い牛を作りたいと思った。当たり前に食い込める牛を作りたいと思った。かなり焦っていた自分も 自分も27になる、自分はどうだっていいけど弟が 弟が 弟のことを考えると悔しくなっていつまでも変わらないのが悔しくて純平が実習を終わって帰って来るまでに牛の 牛いつでも腹いっぱい食えるよって言う牛を作りたいと思っただからついストレスが溜まって爆発した」
公雄さん
「いや 俺はね公太郎が斉藤さんと野坂さんの所で実習している時今の公太郎と同じ心境だよ。公太郎が帰って来るまでに第二牧場を確保して少なくとも山だけは確保して帰ってきたら第二牧場をやって発展的な歩みにつながって思ったよ。それ以降一つもうまく行っていないんだから俺はお前以上に焦っているよ正直言って」

翌朝。田野畑村には暴風警報が出ていました。

結局お父さんの言うとおり、冬も放牧することにしました。

最終更新日:2025年1月21日 18:48