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戦没者の“孫世代”が悲惨な記憶と平和への願いを後世に 山形県内の遺族会の取り組み

2024年8月28日 17:17
戦没者の“孫世代”が悲惨な記憶と平和への願いを後世に 山形県内の遺族会の取り組み

山形県内では戦争を直接体験した世代から悲惨な記憶と平和への願いを受け継ぎ、戦没者の“孫世代”が後世につなげようと動き出しています。

戦争で家族を失った遺族たちー。この日、戦没者の慰霊祭で平和への祈りを捧げていました。
主催したのは、山形市遺族連合会の青年部。戦没者の“孫世代”にあたります。

山形市遺族連合会青年部長 山岸正昭さん(64)「戦争があったというのは、夢物語ではない。何があったかを知ることが、戦争を知らない世代には非常に大事だと思っている」

県内では、夫や父を失った女性たちが、戦争の記憶、そして平和への思いを書き続けてきました。

手記より「爆撃のたび、ものすごい爆音が鳴り地響きがする度に身が縮る思いでした。もう恐ろしくて、恐ろしくて、母や祖母にしがみつき震えていたのを今でも忘れられません」

戦後79年ー。「平和へのバトン」をどう、つないでいくのか…。

おじが戦死した男性「戦後79年なんですよね。まだまだその時の悲しみや寂しさは癒えてはいない」

戦没者の“子ども”と“孫”が一緒に作ったロウソクー。この夏の終戦の日に点灯されました。

山形市遺族連合会青年部の男性「直接戦争を体験した人がどんどん減ってきているので、こういう場を通していろいろ経験を伺ったり、活動に対してのアドバイスを頂戴したりすることもできるのですごくありがたい機会」

山岸正昭さん(64)。県遺族会と山形市遺族連合会、双方の団体の青年部で部長を務めています。
祖父の正雄さんは1943年に召集され、旧満州に派遣されました。

山岸正昭さん「私の祖父が満州から山形にいる子どもたちに対して出したハガキ。『勤労作業も忙しいだろう。働くことも今の学生にとっては学業のひとつ。国民の大事な務めであるので頑張ってやりなさい』『おばあさんは丈夫でいるか』とか、家族のみんなの様子を心配している」

戦争の激化に伴い、フィリピンに派遣された正雄さん。1945年3月、アメリカ軍との戦いで銃撃され死亡しました。
戦争によって夫を失ったキホさんー。5人の子どもを抱え、失意のどん底に突き落とされました。

山岸正昭さん「祖母・キホさんは大変落胆したようだ。どうやって暮らしていくか途方に暮れたと祖母から聞いている。両親が揃っている家の息子や娘と同じように扱われないという当時はそんな社会だったようだが、祖母・キホさんは『片親だからといってそんな目には遭わせない』と、強くいろいろ働きかけしながら子どもを育てたようだ」

戦争で夫や父親を亡くした県内の女性たちー。その“心の叫び”を書き綴り、毎年1冊の手記が出版されてきました。

手記より「帰らぬ夫を40年以上、79歳死ぬまで待ち続けた母。遺体を確認すればあきらめただろうが、紙切れ一枚では納得できず夫の帰りを待ちながら生きていたようでした」
手記より「肉親を失った悲しみは何十年過ぎても変わらない。若くして夫を亡くした妻達や子供を戦地に送り出した親たちの悲しみは終わらない二度と戦争を起こしてはならない」

30年以上にわたって続いた手記の出版は、メンバーの高齢化などに伴い、去年が最後となり、戦争の記憶を伝える活動は“孫世代”の県遺族会青年部に引き継がれました。

手記を出版してきた「遥かな日のつどい」阿部博子さん(81)「私たちの思いを平和の語り部としてバトンタッチしたい」
山岸正昭さん(64)「先輩方が残してくれた文章を読んでまとめて手掛かりにして、貴重な体験にまつわる活動を引き継いでいきたい」

県遺族会の会員数は、ピーク時の2万8000人に対し、現在は7200人。4分の1ほどまでに減少しています。

山岸正昭さん「戦争の悲惨さや怖さを記憶している人がいなくなると、簡単に戦争に入ってしまうのではないかということが非常に危惧される」

「戦争の記憶」をこれからの世代にどのようにして継承していくのかー。県内では新たな取り組みが動き出しています。
戦没者の“子ども世代”から“孫世代”が「戦争の記憶」を聞き取り、動画として記録していく計画です。

山岸正昭さん「あまり苦労した話なんて皆さんしたくない。でも、戦後80年になろうとする時代、その辺も含めて語れる時代になっているのかなという気もする。自分の身近なことを残すのも第一歩」

父が戦死した女性「私なんかだと、弟のために上の学校には入らないで、とにかく男の子だからということで犠牲になって一家を支えるというか、恥ずかしいくらい苦労したと思う」

県遺族会青年部では計画が順調に進めば、動画の一般公開や、学校での活用なども検討したいとしています。

山岸正昭さん「戦没者の遺族としていろいろな苦労もしたが、戦争の記憶を一番肌身に感じて持っているので、それを今の時代の方々にも伝えていきたい。平和がいかに大事かを訴えることが非常に大事」

終戦の日ー。戦没者の子どもと孫が作ったロウソクがともされました。
戦争の悲惨な記憶を途絶えさせてはならないー。切なる願いが込められた灯りです。