2年半の入院生活から…競技歴2年で日本代表に 「縁の下の力持ち」はパラリンピックを目指す 山梨
山梨県甲斐市出身の横森史也選手(32)が、車いすラグビー日本代表に初選出されました。11月には都内で開かれた国際大会に出場。大けがを乗り越え、日の丸を背負うまでの軌跡をたどります。
■競技歴2年で日本代表に 憧れの斉唱も
横森選手
「10月15日土曜日。頸椎の5番目の骨を折ってチタンを入れました。1~2週間はこの状態で、安定するまで6週間かかります。そこから歩けるかどうかは『フィフティーフィフティー』と言われました。頑張って動きます」
事故から3日後の2016年に撮影した動画には、横森選手の言葉がこのように残されていました。
ここから8年―。横森選手は日の丸のユニホームを身にまといました。
競技歴わずか2年で、車いすラグビー日本代表に初選出。20日まで都内で行われた国際大会「SHIBUYA CUP」に出場しました。
横森選手
「学生時代はサッカーをやっていて、日本代表戦で国歌を聞くときにすごく心にしみるものがあった。実際に自分がピッチ(コート)に立って歌い、すごく感動した」
■「ほとんど寝たきりの状態に」それでも…
不慮の事故で頸椎を損傷したのは24歳のとき。鎖骨から下と、腕に障がいが残り、リハビリを含む入院生活は2年半にも及びました。
横森選手
「けがをしてほとんど寝たきりの状態になってしまった。家族や友人や周りの方の温かい励ましの言葉に支えられてすぐに前を向くことができた」
学生時代はサッカーに打ち込んでいたこともあり、さまざまなパラスポーツに挑戦。そんな中、車いすラグビーの魅力にとりつかれました。
横森選手
「(魅力は)激しいぶつかり合い。僕は一番障がいの重いクラスだが、自分より少しでも障がいが軽い選手を止めたときはガッツポーズして喜んでいる」
■車いすラグビー 選手それぞれが役割を担う
その激しさから「Murder ball(殺人球技)」とも呼ばれる、車いすラグビー。
日本代表は2024年のパリ・パラリンピックで初の金メダルを獲得。競技への関心が高まる中、横森選手は所属する「TOHOKU STORMERS」での活躍が評価され、念願の代表入りを果たしました。
4対4で行われる車いすラグビーは、障がいの程度によって各選手の持ち点が0.5から3.5まで7クラスに分けられ、プレーする4選手の持ち点の合計は8.0までと定められています。
横森選手は障がいの程度が最も重いクラスで0.5ポイント。主な役割はディフェンスですが、攻撃でも味方のための進路を作るなど、まさに縁の下の力持ち。
取材した試合では、オーストラリアのパワーとスピードを生かした攻撃に対してもひるまずに向かっていきました。
パリ大会金メダリストで「TOHOKU STORMERS」のチームメートもエールを送ります。
中町俊耶選手
「今までやってきた部分は出せているんじゃないかなと思うが、まだちょっと『おい!』っていう部分もあるので(笑)」
横森選手
「もっと練習をしっかり頑張ります!」
■初の代表戦を終え 「勇気や元気を与えるプレーを」
横森選手
「国内では経験したことのない、手の長さやひと漕ぎの速さ、あとはコミュニケーション。すごく話しながらプレーしていた。そのあたりをしっかりと見習って取り入れていきたい」
横森選手を一番近くで支えてきた両親にとっても、代表デビュー戦は特別なものでした。
父・正樹さん
「大きなけがからここまで来て、代表になるなんて感無量というか、すごい息子だと思う」
母・忍さん
「8年前のことを思うと、今本当にうれしい」
目指すは「日本代表定着」。
困難の日々を励ましてくれた全ての人に恩返しを。そして、新たな夢を追い続けます。
横森選手
「家族や友人、会社の方がたくさん応援に来てくれた。その方々に感謝の気持ちをもって勇気や元気を与えるプレーをしたい。これからも日本代表に選ばれ続けて、パラリンピック出場を目指して頑張っていきたい」
(「YBSスポーツ&ニュース 山梨スピリッツ」2024年11月24日放送)