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【独自解説】貧困の幼少期から国民的歌姫、そしてファーストレディへ…“中国の美空ひばり”習近平国家主席の妻・彭麗媛氏が要職に起用される!? 「計算高く、気が強く、頭の良い女性」夫・習主席が“頭が上がらない”ワケ

2024年8月1日 16:00
【独自解説】貧困の幼少期から国民的歌姫、そしてファーストレディへ…“中国の美空ひばり”習近平国家主席の妻・彭麗媛氏が要職に起用される!? 「計算高く、気が強く、頭の良い女性」夫・習主席が“頭が上がらない”ワケ
中国のファーストレディ・彭麗媛氏

 近頃、中国国内外で強まっているのが、習近平国家主席の妻・彭麗媛(ほう・れいえん)氏(61)の存在感です。習主席が「彭氏の夫」と言われていた時期もあったという、超有名人・彭氏の正体とは?執務室の写真に見る習氏の心理とは?元『産経新聞』特派員・福島香織氏、元『朝日新聞』特派員・峯村健司氏のダブル解説です。

■「皇太子殿下と親しかった音楽家との“パイプ”を探すよう在日華僑に打診」天皇陛下との“歴史的会見”も妻の力?超野心家の元国民的歌手・彭麗媛氏

 2024年7月15日~18日まで中国・北京で、党の最重要政策(経済や不動産危機など)の方針や人事を決定する『3中全会』が非公開で開催。特に注目されているのが人事です。習主席の妻・彭氏が要職入りするのではないかといわれます。彭氏は山東省生まれで、娘が1人います。父は文化会館の館長、母は舞台女優という家系です。

Q.『3中全会』は、中国にとって非常に重要な会議ですよね?
(元『朝日新聞』特派員・峯村健司氏)
「5年に1度開かれて、経済政策をどうするかを決める会議です。実は、2023年・秋に開かれるのではないかといわれていましたが、なかなか開かれず、どうしてだろうと思っていました。内情を聞くと、中国の経済がかなり悪く、どういう経済政策を出すのかに頭を痛めていたのと、高官たちがいろんな腐敗で調査を受けていて、その処分をどうしようかと人事に悩んでいたという2つの要因で遅れたということです」

Q.彭麗媛氏は、どのような家庭に生まれたのですか?
(元『産経新聞』特派員・福島香織氏)
「彭氏は1962年生まれですが、『3年大飢饉』というものすごい飢饉の翌年なので、食べ物のない貧困の中で生まれました。両親が非常に文化的・知的な仕事をしているのですが、彼女が4~5歳の時に『文化大革命』が始まって、文化的・知的なエリートは迫害される立場にありました。共産党的には許されないと、差別される立場だったので、厳しい迫害を受けて貧しかったということです」

 そんな彭氏は、18歳の時に『人民解放軍』の歌舞団に入隊。階級は少将でしたが、現在の役職はわかっていません。そして、軍の専属歌手として20歳でデビューし、国民的歌姫に。“中国の美空ひばり”とも呼ばれ、当初は習近平氏より有名人で、習氏は“彭氏の夫”として知られていました。

Q.当時は彭氏のほうが有名だったのですか?
(福島氏)
「いつもテレビに出ている人でしたし、華やかで美人で、解放軍の中でも歌姫として慰問でいろんな所に行って名を馳せていたので、“憧れの人”でした。当時、中国で知らない人はいないと思います」

 福島氏によると、彭氏は「権力志向が高く、計算高く、気の強い女性。感情コントロールも上手く、政治・外交センスのある頭の良い女性という印象」ということです。

Q.どのようなところに“権力志向の高さ”を感じましたか?
(福島氏)
「習近平さんが何者でもない頃、福建省の省長などをやった後に、突然浙江省の書記に抜擢されたわけですけど、それはもう“中央に上る”というサインなんです。そうなったら歌手の仕事をきっぱり辞めて、例えば江沢民夫妻にまるで嫁のように仕えたり、裏方になって徹底的に周りの人間関係や党内の人脈を広げたり、そういうことをやっているという話は聞きました」

 習氏が副主席だった2009年11月11日、学習院大学で中国オペラ『木蘭(ムーラン)詩編』が上演され、彭氏が来日。彭氏は舞台演出家として、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)と隣の席で鑑賞し、公演のラストには歌手・芹洋子さんと『四季の歌』を熱唱しました。

 峯村氏は、この来日直前に彭氏と対面。「“次期ファーストレディ”ということで、軍の上司に当たる人たちが気を使い、場がピリピリしている状況だった」と話しています。

Q.どんな雰囲気でしたか?
(峯村氏)
「北京の日本大使館で歓送会を開いていて、そこに呼んでいただきました。最初は彭さんの軍の上司などもいて、我々とも結構優しい雰囲気で『日本に行って、皆さんと交流したいです』みたいなことを笑顔で言っていて、良い人だなと思っていたんです。それで終わって、舞台にほうに行ったらクルッと順番が逆になって、上司だった人が急に『どうぞ、こちらに』みたいな感じになって、立場が逆転していました。どうやら部下がミスをしたらしくて、随行した人によると、彭さんがかなり叱責して怒って、皆が凍り付いたということで、かなり二面性があるなと思いました。ただ、お母さんとしてはすごく優しいお母さんだったようです。ちょうど一人娘の習明沢(しゅう・めいたく)さんがハーバード大学に留学していた時に、私もハーバード大学で研究員をしていたので、お会いしたことがあります。お母さんとそっくりで、鼻から上はほとんど彭さんと一緒なので、すぐにわかりました。『寂しい時はお母さんの歌をよく聞いている』と、当時の同僚に話していました」

 そして、彭氏が来日した公演の翌月には、“歴史的な会見”が実現。習氏は特例で、当時の天皇陛下(現在の上皇さま)と会見を行いました。この実現のウラには、彭氏の“策略”があったのではないかといわれています。

Q.策略とは、どういうことですか?
(福島氏)
「この『木蘭(ムーラン)詩編』上演のキーマンは堤俊作さんという有名な音楽家の方で、この方が当時の皇太子殿下と非常に親しかったというのは有名なのですが、私の聞いた話では、彭氏は最初から堤俊作さんとの“パイプ”を探すよう在日華僑の要人たちに打診していたということです。つまり、習近平国家副主席として訪日した時に、『どうしても当時の天皇陛下との特別会見を実現させなければならない』と彼女のほうが考えて、講演会で日本にもよく来ていましたから、いろんな人脈を駆使して接触を図ったと。自分で動いて指示を出してパイプを作った、と聞いています」

■「習氏は母に今も何かと相談していて、絶対に逆らえない」習主席の執務室に見る“マザコン”度と、“女性が強い習家”で母に懐いた彭氏の計算高さ

 1987年、福建省アモイ市・副市長という肩書きだった習氏は、彭氏と結婚。きっかけは習氏の一目惚れでした。福島氏によると、習氏の母・斉心(さいしん)氏は当初結婚に慎重な姿勢を見せていましたが、相手が国民的歌姫ということで“手の平返し”。息子のイメージアップ・政治的ステップアップにも繋がるのではと、結婚に賛成したのではないかということです。斉心氏は、17歳で中国共産党に入党した熱心な支持者だといいます。

Q.斉心さんの許可がないと、結婚に至らなかったのですか?
(福島氏)
「習ファミリーの中では、斉心さんは非常に発言力のある人だというのは確かです。実は、彭麗媛さんと習近平さんの恋愛関係は、公式発表よりもずっと前、習近平さんが別の女性と結婚していた時から続いていたというのは結構言われていて、また、政治的な意味がないと結婚できなかったので、当初は父・仲勲さんが強硬に反対していました。それを、彭麗媛さん自身が『母親を攻めたほうがうまくいく』と考え、斉心さんには好意的にかわいく接していた、という話は聞いたことがあります」

 また、福島さんによると、「習氏は母・斉心さんに今も何かと相談していて、絶対に逆らえない。習氏は、気が強く引っ張ってくれる女性が好きともいわれている」といいます。

Q.あの習氏が、今でもお母さんには逆らえないのですか?
(福島氏)
「お母さんとお姉さんもいて、習家は女性が大変強いといわれています。習氏は、精神的に年上で、自分のことを立ててくれたりかわいがってくれたり、決断してくれるような女性が好きみたいです」

Q.母・斉心さんを巡っては、執務室に秘密があるんですよね?
(峯村氏)
「習近平さんは毎年大晦日に、国民向けのメッセージを出されますよね。私は、あまり演説は聞いていなくて、後ろに飾ってある写真を見ています。他の写真は毎年変わるんですけど、お母さんとのツーショットだけは必ずここに置いてあるんです。また、一つ気付いたのが、お父さんの写真がありません。党の人に聞くと、やはり“お父さんよりお母さんが好きだった”というのがあるのと、実はお父さんは政治的には下手な人で、3回ほど失脚しています。なので、お父さんは悪い見本で、強いお母さんのほうを頼りにしていたのではないかということが、写真から想像できると思います」

(「情報ライブ ミヤネ屋」2024年7月17日放送)