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「あなたに生きていてほしかった」院長の妹がずっと伝えられなかった言葉 北新地放火殺人事件から2年

2023年12月17日 7:00
「あなたに生きていてほしかった」院長の妹がずっと伝えられなかった言葉 北新地放火殺人事件から2年

 2021年、大阪・北新地のクリニックで起きた放火殺人事件から、17日で2年となります。26人が命を落としたのは、休職している人が再び元気に働けるようリハビリに取り組み、希望で溢れていた「西梅田こころとからだのクリニック」でした。

「一緒にどうやっていったらいいかって考えたり、一緒に悩んだりすることが一人ずつのためにいいのかなと思って…」

 クリニックの院長だった西澤弘太郎さんの妹・伸子さん(46)は、この2年間、兄の足跡をたどり、多くの「声」と向き合ってきました。様々な活動を経て、『僧侶』になることを決断した理由と、伝えたい言葉を誰かの前で話せるようになった心の変化とは―(報告:田上 瑛莉香)

■まさか兄のところで…クリニックに残った時計とカルテ

 2021年12月17日、伸子さんが、子どもと一緒に昼食を食べようと注文をした時、あるネットニュースをスマートフォンで目にしました。

 「大阪・北新地で火事」

 続いて目に入ったのが「診療内科」の見出し。もしかしたらと思い、そのニュースをたどっていくと、兄のクリニックから煙が出ている動画が上がっていました。

 まさか…そう思い、義理の姉に連絡すると、「今向かっているところ」と返事が返ってきます。伸子さんはすぐに両親に連絡し、タクシーに飛び乗りました。
 
 現場に着いた時には多くの人が搬送され、兄が無事かどうか、どこにいるのか、救急隊や警察に聞いても分からず、ネットニュースで最新の情報を知る状況でした。

 伸子さん「けがはしているけれど、助かっているだろう、大丈夫だろうと願っていました」

 午後10時を回ったころ、伸子さんのもとに「兄が亡くなった」と連絡がありました。家族で向かったその道中は、誰かが泣くわけでもなく、ぽつぽつとしゃべるだけで、警察署で再会した兄はただ眠っているかのようでした。

 事件からしばらくして、伸子さんは片付けをするため、放火されたクリニックの内部を訪れました。受付は燃えた痕がありましたが、奥の部屋までは至っていませんでした。日々多くの患者と向き合っていた兄の部屋は、一番奥にありました。座っていた真正面の壁にあった時計は、事件が起きた時刻のまま、時を刻むのを止めていました。

 伸子さん「焼けたところを見ても、あまり感情を入れないように作業していたんですけど、時計を見た時は立ち尽くしました。この時間を兄は見たのかなとか、あの事件のまま止まったというのをすごく象徴した時計だったような気がしました」

 焼け残ったクリニックの中で目にしたのは、たくさんの『カルテ』でした。伸子さんは、兄が多くの心の声に耳を傾けていたことを知りました。

■患者のためになりたい…見つけたある”居場所”と“気づき”

 事件の後、SNS上は心療内科医だった兄の死を悼む声で溢れていました。親身になって寄り添ってきた患者たちが、“心の拠りどころ”を失ったことを伸子さんは知りました。

 伸子さん「次どうしたらいいのか、また一から先生を探さないといけないのか、本当にたくさんの方が書いているのを見たときに、困っているのを見たのに何もしないというわけにはいかないと思って」

 兄のクリニックに通っていた患者のためになりたいと模索する中、伸子さんはある“居場所”を見つけました。

 北新地のクリニックに通っていた患者「クリニックに4年強くらい通っていて、今回同じような境遇の方々と、当事者ならではの痛みとか、そういうのを共有して癒しにつなげていけたらなと思って」

 クリニックに通っていた患者らがオンラインの集会でつながり、悩みや不安を互いに打ち明けていたのです。

 会話の多くは日常のたわいもない出来事でしたが、伸子さんはこうしたやりとりの中に、ある“気づき”がありました。

 伸子さん「みんな“孤立”はだめだと思うという共通の思いがあって、容疑者も“孤立”していたことになるし、そうすると“孤立”を防げれば事件は起きなかったのかな」

■自分にできることを…学び始めた伸子さん

 兄を亡くして8か月。伸子さんは、クリニックに通っていた患者らの心の声にもっと寄り添えるようになりたいと、心理カウンセリングを学び始めました。

 公認心理士・土田くみさん「この中から1番気になるものを選んでください」

 この日受けたのは、カラーセラピーの講座。直感的に選んだボトルの色は、今の心の内を映し出しています。伸子さんが選んだのはオレンジ色のボトルでした。

 土田くみさん「オレンジは、ばらばらになったものを一つにする力がある。レスキュー隊員のジャケットなどもこういう色です。人を助けるだけじゃなくて、自分を助けるボトルとして、もともと持っていらっしゃるものがあるのかな」

 実は、兄も生前、土田さんのもとで勉強していました。

 土田くみさん「患者さんに何かをもうちょっと力になれることがあればという動機は、2人とも似ていらっしゃる。自分のつらさを噛みしめながらでも自分にできることをする、ご遺族でもある方が患者さんのことをすごく思っていらっしゃるという、そこがすごいなって」

 社会から誰一人取り残されることがないようにしたいとの思いから、伸子さんは“こころの整理”を手伝う活動を始めました。母としての悩みを抱く友人の女性に静かに耳を傾けます。

 友人「自分をよく見せているつもりはないけど、よく見せようと思ってしまうところがある」

 伸子さん「というのは自分の理想としているような像があって、そういうことをできていないことが苦しい?」

 友人「そう。何かをやりかけてやろうとして、結局戻っているから、楽なことをして家の中ぐちゃぐちゃとか。結局私が片付いていないから子どもも片付いていないのかなとか」

 伸子さん「話を聞くといっぱいいっぱいやねん。自分は色々なことをできていないと思っているけど、実は見返すとできていることはいっぱいある。自分をまず認めてほしい。私こんなやれているわって」

 “本当の気持ち”に耳を傾け、わだかまりを解きほぐし、前を向いて進めるようサポートしています。

 事件から約1年9か月、伸子さんは初めて、府内のとある場所を訪れました。

 伸子さん「兄が多分いたのはここかな。ここが院長室だと思うのでカウンセリングも多分ここでやっていたのかなと思うんですけど」

 亡くなった西澤院長は、北新地のクリニックを開く3年前、実家の隣に「心療内科」を設けていました。北新地とこのクリニックの2つの場所で、患者の悩みや不安に親身になって寄り添っていたのです。

 伸子さん「(兄は)いつも仕事のことしか頭にないのかなっていう印象はありました。本当に一人一人に向き合っていたんじゃないかなと思う。私は、誰かの居場所でありたいと思うし、その誰かは誰かの居場所であったらいいと思っているんですよね。小さな居場所でも良くて、本当の場所としての場所以外にも心同士が通っている人がいるとか、そういうことを作っていけたら良いですよね」

 12月2日、大阪市内では北新地のクリニックに通っていた患者や支援者らとの交流会が行われました。伸子さんは事件後、クリニックに通っていた患者たちをずっと気にかけていました。

 クリニックに通っていた女性患者「(伸子さんは)雰囲気とお顔、目元も西澤先生と似ていて、いつも診てもらっていたのと同じような表情をしてくださるので心が和みます」

 笑顔を見せながら、「ありがとうございます」と答えた伸子さん。参加した男性の患者は「安心感もありますし、こういう場所があるっていうことがそれだけでありがたい」と話していました。

■人の話を聞いていく覚悟、そして仏門の道へ

 自分なりの方法で誰かの支えになると決め、歩んできた伸子さん。そのための「引き出し」を増やし、より多くの癒しにつなげられたらと、今年6月から、僧侶になるための勉強も始めました。

 奈良県五條市にある生蓮寺。年齢も違う仲間たちと一緒に、お経や仏教の教えを学びます。

 伸子さん「人のために何かなったらという思いで学び始めていますが、人の癒しにつながるように取り組んでいることは、自分の癒しにもつながっていっている。同時に癒されたりとか、学んだり成長していっている気がする」

 少しでも人の心が穏やかになったらと、音響療法に使われる弦楽器「モノリナ」を始めた伸子さん。

 12月4日、出家の日を迎え、住職からは、音楽を「奏でる」、正蓮寺の「蓮」から、『奏蓮』(そうれん)という僧名をもらいました。

■兄への思い…「蓋」をしていた気持ちが溢れた瞬間

 この2年間、伸子さんを一番近くで見守っていた夫は、伸子さんの活動について、このように話します。

 伸子さんの夫「彼女はいろいろな活動を自分で調べてどんどん前に前に進んでいっているという感じで。周りにはすごく悲しんでいるとか見せていないですし、心配をかけないようにっていうのでやっているというのも多分あると思います」

 普段は心の奥に秘めた兄への思いを温めているという伸子さん。その心の「蓋」が他の人の前で初めて開いたのが、今年9月、京都アニメーション放火殺人事件の裁判を傍聴した時でした。

 伸子さん(裁判の傍聴後)「ご遺族の席がすごくたくさんあるのを初めて見て、たくさんの方が亡くなったということをものすごく感じました。(ご遺族が被告に直接質問される際)すごく大きな深呼吸をなさってから言葉を発せられたりとか、『家族がいること、子どもがいたこととか知っていますか』という質問を、本当に震えながら聞かれていたんです。(それを聞いて)改めて自分も遺族だったということ、家族とか子どものことを思い浮かべてしまって」

 傍聴席には、遺族の質問を聞いて、涙を流す伸子さんの姿がありました。

 これまで、人前で涙や悲しみの言葉を伝えることがなかった伸子さんにとって、時間とともに少しずつ心の奥の思いが「ほぐれている」ことを感じる瞬間でした。

 12月3日、北新地の事件で大切な人を亡くした人たちが集い、悲しみを癒せるように、追悼のコンサートを開きました。マイクの前に立った伸子さんは、モノリナを演奏した後、1本の詩を朗読しました。
 
 伸子さん「今、この前の棚に、26本のお花を置かせていただいています。この26という数字は、この事件でお亡くなりになられた方の命の数です」

『本当の言葉』
「あなたに今聞きたいこと 元気に笑っていますか
 あなたに今聞きたいこと よくこちらに遊びにきていますか
 あなたに今伝えたいこと あなたのことを知る人は
 今もあなたを想い あなたを思い出し
 ときに涙を流しているということ

 私にとってあのことがまだ現実だったのか
 夢だったのかわかりません
 ずっとずっとあの日のことが
 実は夢だったような気がしているのです

 あなたという人が 私の兄であったことも
 実は夢を見ていたことのようなのです

 でもきっとあなたは生きていたことも
 あなたが亡くなってしまったことも現実なのだと思います

 だから私はよく 朝も昼も夜も空を見上げます
 あなたがそこにいると思うから
 あなたにそこで笑っていて欲しいから

 あなたがいなくなってから私は色々な質問を受けました

 でも言わなかったことがあります
 思っていても口に出せなかった言葉です

 あなたに生きていて欲しかった
 あんなことがなかったらよかった
 もっと先にあなたと思い出話をする予定だったから

 あなたに会いたいです 普通に会いたいです

 これが私の本当の言葉です

 またいつかきっと あなたに会える日まで
 私はこちらで私らしく生きます
 どうかあなたを知る人を空から見守っていてください」

■ありのまま、今を生きていくー

 2023年11月、実家の庭で伐採することになった柿の最後の実を伸子さんが取りに行った際、これまで聞けなかった兄への思いを父親に質問したところ、このように答えたといいます。

 「今も心の中でずっとお兄ちゃんは生きています」

 悲しみの中にいると分かっていたからこそ、家族ではあまり話してこなかった兄への気持ちが、短い言葉の中に詰まっていました。

 あの日から2年。

 空に向かって枝を伸ばし続け、家族を見守り続けた柿の木のように、伸子さんはこれからも、ありのままに、今を生きていきます。